深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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文章だけ書きあがっていたものを発掘しました。書いたは良いけれど、内容の見直しが遅れに遅れて出しそびれていたものです。技神まー関連の記事が並んでいるので、その流れで読めば「技神まーは物語上どうあったか?」を確認するうえで参考になると思います。(作者がどういうつもりだったかは知らない)
特に彼の心情を想像したとか、私的萌えポイントを言っているわけではありません。文体がおもいっきりレポート体裁で堅苦しいですが、いつもどおり<好きな読み方は人それぞれ>ということで。私の領分にご興味を持たれ、楽しんでいただければ幸いです。
この記事はかなーり前に書いた記事の続きの続きです。
順番に……
・ なんとなくわかるだろう話の読み方
・ なんとなく~続き、ついで
読むと分かると思いますが、「● 実際のところ」以降内容が破綻した(笑;)ので、その分を見直しました。<わざぼーとの合体>について、みみみちゃんとまーさまを比較し両者の性質の違いを指摘します。
特に彼の心情を想像したとか、私的萌えポイントを言っているわけではありません。文体がおもいっきりレポート体裁で堅苦しいですが、いつもどおり<好きな読み方は人それぞれ>ということで。私の領分にご興味を持たれ、楽しんでいただければ幸いです。
この記事はかなーり前に書いた記事の続きの続きです。
順番に……
・ なんとなくわかるだろう話の読み方
・ なんとなく~続き、ついで
読むと分かると思いますが、「● 実際のところ」以降内容が破綻した(笑;)ので、その分を見直しました。<わざぼーとの合体>について、みみみちゃんとまーさまを比較し両者の性質の違いを指摘します。
* * *
● 実際のところ
みみみは一緒に戦った仲間に「ありがとう」を言う。これは他者を区別しているからこその「ありがとう」なんだ! と思いながら読むと、色々合点がいくように思う。
物語の終盤、わざ武王が正体を現したのちのみみみ(とむむ、めんめん、わざぼーたち)とまー(とわざ武王)がくりひろげた戦いは、
・ みみみはひとりでやるという割に、最後は仲間のチカラを団結させてる
んだから、ひとりでやってないじゃないか!
・ まーはチカラをかりると言った割に、最後は誰にもチカラになってもらえず、
結局ひとりでやってるじゃないか!
という、先の記事で確認した各々の目標に臨む態度とは逆転した内容だった。一体どうしてこうなってしまったのだろう? それは、みみみとまー(ひいてはわざぼーたちとわざ武王)の他者の存在についての認識の違いのためではないか、ということをお話していきたい。
*
結論から言うと、みみみとわざぼー含むその協力者たちは<合体しても個別に存在を認めあっている>が、まーはわざ武王と自身を同一視したかのような振る舞いにより<一つに合体していた>のである。
これは、【6巻】でみみみの握るわざぼーが他のわざぼーたちと合体したときの姿、【3巻】外伝でまーの体内からわざぼー(わざ武王)がとりだされる=合体している、という各キャラクターにおける<合体>の描かれ方の違いから指摘できる。順に見ていこう。
まずはみみみについて。彼女の態度である「ひとりで」とは、自分と<他者>が別の存在だという認識を示していたのではなかったか。同じ相手に立ち向かう者がいても、全員が一つの塊になるのではなく、<ひとり> が集合したものだと考えている――これが、合体したわざぼーに顔が3つついた姿で描かれることにより表象されていたとみることが出来よう。
一方、まーの態度はどうだったか。彼の言う「怪物のチカラをかりる」とは、一見他者を区別している言葉のようである。しかし、まーが他者を「道具」、わざぼーを「兵器」と認識していることから鑑みれば、“他者の協力をあおぐ”というよりも、“道具を使う”に意味が近い。チカラをかりられるほうの意思とは関係なしに、そのチカラを自分の意のままにしようという発言としてとれる。(※1)
また、作中で<他者を道具として使う>ことに言及した他の例として、わざ武王に近似性のみとめられる描写がされていることにも注意が必要だ。
わざ武王は魔の約束により獲得した手下を自分の意のままに操り【1巻~3巻】、しまいには宇宙となって惑星を操った【3巻】が、これは今まで指摘したまーの他人を道具としてあやつろうとする、言ってみれば<自分を世界の中心にした態度>と通じるものである。まーにおいては彼自身に思想を語らせることで、わざ武王においては契約というシステムやイメージ(比喩)のレベルで描いている。
あるいは、まーが左胸のあたりからわざ武王を取り出す【3巻】描写は、あたかもまーからわざ武王が生まれたかのごとくである。これは言葉遊びで、技<神>により使役されるわざ武<王>という、王権神授説(※2)を思わせる関係性を示しているのではないか。
つまり、王は神であり世界の意思である。その意思によって人々は使役されるべき、という神=王を中心とした思想を共有するわざ武王と技神まーは癒着した関係として描かれているのだ。そのような関係性による支配の復活を目指す彼らは“悪”とされていた。
● まーはわざ武王じゃない
王権神授説のごとく神が王に権力を授けたものとして、王の意思は神の意思と直結するあたかも同一視が可能であるかのような関係性をもつ、技神まーと彼が使うわざぼー・わざ武王。まーはわざ武王をからだの中にしまうことができるという表象からは合体しているとも言える。
しかし、まーとわざ武王は別個の存在だ。これは、わざぼーが使用者の声を聞いて技を出すことができるという機能によって暴かれることになる。声によって発話者と聞き手という関係が構築され、それぞれが別々に存在するものだという事実を突きつける。(※3) まーの声が聞こえない、わざ武王に声が届かないという状況に陥って、それぞれが<他者>として<ひとり>に分断された。神の意思は王には届かなくなるのだ。
もはや、王は神を代弁しない。あまつさえ、わざ武王はみみみのとった作戦(声をあげて叫ぶことにより、相手がわざぼーを使うのを妨害をする)を模倣する。まーの思考ではなく、みみみの思考に従うのである。
<自分>と<他者>との分離によって、まーは<ひとり>になってしまった。そもそも、それぞれが別々の存在だと認識していれば、
まーとわざ武王(2人)VS みみみとわざぼー、わざこ、わざっチ(4人)
その場に居合わせない、むむとめんめんを数に入れれば、2VS6。人数の上で見れば多勢に無勢だった。その事実を、わざ武王との関係性にあらわれるような自分を中心に世界が動いているという認識によって見誤っていた。
自分を中心にして<他者>を使役し得る道具とみなす。それは、わざ武王(道具)との合体にみられる自分の一部であるかのような倒錯によっても描かれていた。彼にとって「チカラをかりる」とは道具を利用することを意味していた。しかし、戦いの中で自分が相手に言うこと聞かせられない状況、つまり使うことができない状況により、自分と道具は別個の存在であることが露呈する。
自身の拡張能力ではない<ひとり>の存在であるという事実を突きつけられたことで、まーは「チカラをかりる」ことの不可能を暴かれて実際は<ひとりで>戦うことになってしまった、ということではなかったか。
[メモ]
※1 協力を求めるめんめんの一連の行動と比較してみてたい
※2 王権神授説で、支配の権利を行使する主体になるのは神ではなく王というとこまでツッコむのはいいすぎかしら。
※3 個人を象徴するものが“声”なのかもしれない。
― おまけ ―
技神まー 関連参考記事(随時追加予定)
・ わざ武王 と わざぼーぐぅ
… 一つ前の記事だけど、わざ武王とまーの関係性について、この記事と相互補完するように思う。
・ 痛いはなし(カウンセリングのためのレポート)
… 誤読とか自分設定生成の謎についての参考程度。
・ 痛いはなし2(普通に技神まーについての人物論です)
… ていねいめの人物論です。
・ 痛いはなし2の補足
… 補足と言うかめんめんくんへの弁解です。
・ 2015.1月号 ● わざぐぅ! 感想
… まーの顛末。最後だし、ここでしっくりきました。
・ 技神まーの目の色について
… 黄色い瞳=白抜き=精神的不安定の表現? という話。ヘビィのくだり以外、大体ふざけてます。
*
まーには触れていませんが参考に。
・ わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について
… わざぼー使いとわざぼーについて『わざぼー』終了時点で。(途中)
● 実際のところ
みみみは一緒に戦った仲間に「ありがとう」を言う。これは他者を区別しているからこその「ありがとう」なんだ! と思いながら読むと、色々合点がいくように思う。
物語の終盤、わざ武王が正体を現したのちのみみみ(とむむ、めんめん、わざぼーたち)とまー(とわざ武王)がくりひろげた戦いは、
・ みみみはひとりでやるという割に、最後は仲間のチカラを団結させてる
んだから、ひとりでやってないじゃないか!
・ まーはチカラをかりると言った割に、最後は誰にもチカラになってもらえず、
結局ひとりでやってるじゃないか!
という、先の記事で確認した各々の目標に臨む態度とは逆転した内容だった。一体どうしてこうなってしまったのだろう? それは、みみみとまー(ひいてはわざぼーたちとわざ武王)の他者の存在についての認識の違いのためではないか、ということをお話していきたい。
*
結論から言うと、みみみとわざぼー含むその協力者たちは<合体しても個別に存在を認めあっている>が、まーはわざ武王と自身を同一視したかのような振る舞いにより<一つに合体していた>のである。
これは、【6巻】でみみみの握るわざぼーが他のわざぼーたちと合体したときの姿、【3巻】外伝でまーの体内からわざぼー(わざ武王)がとりだされる=合体している、という各キャラクターにおける<合体>の描かれ方の違いから指摘できる。順に見ていこう。
まずはみみみについて。彼女の態度である「ひとりで」とは、自分と<他者>が別の存在だという認識を示していたのではなかったか。同じ相手に立ち向かう者がいても、全員が一つの塊になるのではなく、<ひとり> が集合したものだと考えている――これが、合体したわざぼーに顔が3つついた姿で描かれることにより表象されていたとみることが出来よう。
一方、まーの態度はどうだったか。彼の言う「怪物のチカラをかりる」とは、一見他者を区別している言葉のようである。しかし、まーが他者を「道具」、わざぼーを「兵器」と認識していることから鑑みれば、“他者の協力をあおぐ”というよりも、“道具を使う”に意味が近い。チカラをかりられるほうの意思とは関係なしに、そのチカラを自分の意のままにしようという発言としてとれる。(※1)
また、作中で<他者を道具として使う>ことに言及した他の例として、わざ武王に近似性のみとめられる描写がされていることにも注意が必要だ。
わざ武王は魔の約束により獲得した手下を自分の意のままに操り【1巻~3巻】、しまいには宇宙となって惑星を操った【3巻】が、これは今まで指摘したまーの他人を道具としてあやつろうとする、言ってみれば<自分を世界の中心にした態度>と通じるものである。まーにおいては彼自身に思想を語らせることで、わざ武王においては契約というシステムやイメージ(比喩)のレベルで描いている。
あるいは、まーが左胸のあたりからわざ武王を取り出す【3巻】描写は、あたかもまーからわざ武王が生まれたかのごとくである。これは言葉遊びで、技<神>により使役されるわざ武<王>という、王権神授説(※2)を思わせる関係性を示しているのではないか。
つまり、王は神であり世界の意思である。その意思によって人々は使役されるべき、という神=王を中心とした思想を共有するわざ武王と技神まーは癒着した関係として描かれているのだ。そのような関係性による支配の復活を目指す彼らは“悪”とされていた。
● まーはわざ武王じゃない
王権神授説のごとく神が王に権力を授けたものとして、王の意思は神の意思と直結するあたかも同一視が可能であるかのような関係性をもつ、技神まーと彼が使うわざぼー・わざ武王。まーはわざ武王をからだの中にしまうことができるという表象からは合体しているとも言える。
しかし、まーとわざ武王は別個の存在だ。これは、わざぼーが使用者の声を聞いて技を出すことができるという機能によって暴かれることになる。声によって発話者と聞き手という関係が構築され、それぞれが別々に存在するものだという事実を突きつける。(※3) まーの声が聞こえない、わざ武王に声が届かないという状況に陥って、それぞれが<他者>として<ひとり>に分断された。神の意思は王には届かなくなるのだ。
もはや、王は神を代弁しない。あまつさえ、わざ武王はみみみのとった作戦(声をあげて叫ぶことにより、相手がわざぼーを使うのを妨害をする)を模倣する。まーの思考ではなく、みみみの思考に従うのである。
<自分>と<他者>との分離によって、まーは<ひとり>になってしまった。そもそも、それぞれが別々の存在だと認識していれば、
まーとわざ武王(2人)VS みみみとわざぼー、わざこ、わざっチ(4人)
その場に居合わせない、むむとめんめんを数に入れれば、2VS6。人数の上で見れば多勢に無勢だった。その事実を、わざ武王との関係性にあらわれるような自分を中心に世界が動いているという認識によって見誤っていた。
自分を中心にして<他者>を使役し得る道具とみなす。それは、わざ武王(道具)との合体にみられる自分の一部であるかのような倒錯によっても描かれていた。彼にとって「チカラをかりる」とは道具を利用することを意味していた。しかし、戦いの中で自分が相手に言うこと聞かせられない状況、つまり使うことができない状況により、自分と道具は別個の存在であることが露呈する。
自身の拡張能力ではない<ひとり>の存在であるという事実を突きつけられたことで、まーは「チカラをかりる」ことの不可能を暴かれて実際は<ひとりで>戦うことになってしまった、ということではなかったか。
[メモ]
※1 協力を求めるめんめんの一連の行動と比較してみてたい
※2 王権神授説で、支配の権利を行使する主体になるのは神ではなく王というとこまでツッコむのはいいすぎかしら。
※3 個人を象徴するものが“声”なのかもしれない。
― おまけ ―
技神まー 関連参考記事(随時追加予定)
・ わざ武王 と わざぼーぐぅ
… 一つ前の記事だけど、わざ武王とまーの関係性について、この記事と相互補完するように思う。
・ 痛いはなし(カウンセリングのためのレポート)
… 誤読とか自分設定生成の謎についての参考程度。
・ 痛いはなし2(普通に技神まーについての人物論です)
… ていねいめの人物論です。
・ 痛いはなし2の補足
… 補足と言うかめんめんくんへの弁解です。
・ 2015.1月号 ● わざぐぅ! 感想
… まーの顛末。最後だし、ここでしっくりきました。
・ 技神まーの目の色について
… 黄色い瞳=白抜き=精神的不安定の表現? という話。ヘビィのくだり以外、大体ふざけてます。
*
まーには触れていませんが参考に。
・ わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について
… わざぼー使いとわざぼーについて『わざぼー』終了時点で。(途中)
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