深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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思った以上に文章が長いので、記事分けました。
前回、
・ 痛いはなし(カウンセリングのためのレポート)
なまっとは技神まーにとても共感しており自分を投影している。登場するたびに何か辛い目に合うんじゃないかと心配。これまでもかなり嫌な目に遭っているけれど、大丈夫なのか? という、たかがマンガのキャラクターの進退に気を揉んでいるという尋常じゃない様子をカウンセリングに相談にまで行ったし、また話そうとしているということによせて語りました。
*
この記事では、技神まーってそういう人じゃなくない? というのを、『わざぼー』 のエピソードを読みながら描写を逐一指さし確認して、そもそも作者はまーを一体どういうキャラクターとして描こうとしていたか? をまとめました。だから、カウンセリング云々じゃなくて普通に<技神まー> の人物論っぽい感じです。ちょいちょい私事にも触れますが基本的には記述について検討しています。
以下、内容の性質上作品のネタバレがたくさんあります。
前回、
・ 痛いはなし(カウンセリングのためのレポート)
なまっとは技神まーにとても共感しており自分を投影している。登場するたびに何か辛い目に合うんじゃないかと心配。これまでもかなり嫌な目に遭っているけれど、大丈夫なのか? という、たかがマンガのキャラクターの進退に気を揉んでいるという尋常じゃない様子をカウンセリングに相談にまで行ったし、また話そうとしているということによせて語りました。
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この記事では、技神まーってそういう人じゃなくない? というのを、『わざぼー』 のエピソードを読みながら描写を逐一指さし確認して、そもそも作者はまーを一体どういうキャラクターとして描こうとしていたか? をまとめました。だから、カウンセリング云々じゃなくて普通に<技神まー> の人物論っぽい感じです。ちょいちょい私事にも触れますが基本的には記述について検討しています。
以下、内容の性質上作品のネタバレがたくさんあります。
* * *
● ちゃんと話を読もう(既述に基づいた技神まーの人物像の確認)
なまっとは自分の問題を投影して誤読しまくってるっぽい。だから、もうちょっと落ち着いて、話を読み返してみたらどうかしら? ということで読み間違えていそうなエピソードを一個ずつ丁寧に見ていきます。
: 3巻「技神まーと・・・・」
【梗概】 幼いチャオチャオはヘビィというガラの悪い男に金をせびられ脅かされていた。そこにマント姿の少年が通りかかり、目にもとまらぬ攻撃でヘビィを気絶させた。助けてくれたと思ったチャオチャオは少年に懐いてついて行く。気が付いたヘビィはマントの少年への復讐に燃える。夜、たき火を囲って休んでいる2人のもとに現れ、チャオチャオを人質にして戦いを挑む。少年はチャオチャオを助けたつもりも、助けるつもりもなく、自身の計画のため戦う相手を探していただけだと言った。体の中から取り出した武器でヘビィに血しぶきをあげさせ倒す。怯んだチャオチャオは「道具(ルビ:なかま) のトコロ」 へ行くという技神まーと名のったその少年の背中を見送った。
⇒ まず、技神まーが初登場した話での描かれ方を見てみましょう。
*
技神まーの描かれ方は、対戦したヘビィに血しぶきをあげさせるという残酷な攻撃をしたり、口が悪かったり、目つきが悪かったり。見た目全体のギザギザ加減といい、極悪人の様相である。梗概を載せたが、まーは一見人助けをしたようでいて、実は戦えそうな相手を探していただけだった。たまたま相手になりそうな男が小さい子を恐喝しているところに出くわしたのだった。
「オレが昼間オマエと戦ったのは、オレのため、そして玉の成長のため」
「そんなクソガキどうだっていいんだ」
この話ではまだ詳細は語られない情報だが、補足すると“わざぼー” という武器で敵を倒すと持っている“玉” にパワーがたまる事を指して「玉の成長」 と言っている。そのパワーが多くたまっているほど彼が復活させようとしている怪物“わざ武王” の力が強大になる。まーは“わざ武王” の力を使って、世界でイチバン強くなろうとしているので、それは「オレのため」 なのである。
彼の言葉どおり受け止るなら、彼は人助けをするつもりなど全くなく、すべて<自分のため> に行動している。自分のための振る舞いに偶然が重なって客観的には別の見え方をしてしまうだけなのだ。このように、好意的な誤解を誘う姿が描かれたことが、彼についての解釈を大きく混乱させたように思う。
「道具(ルビ:なかま)のところ」 へ行くという発言を前回、
この話の中では、チャオチャオが好意的に誤解してまーを慕っていた。まーは付いてくるものを追い払ったりはしない。もしかすると、他人の善意がさせた好意的誤解によって手下を獲得するようなこともあったかもしれない。が、そのような描写はなく想像の域をでないので示唆するにとどめておく。
この話では、まーの破壊性の強さと、自分の目的のために他者を支配することも、害することもいとわない身勝手さが描かれており、その態度は「道具(ルビ: なかま)」 という発言にも表れている。また、他者から好意的誤解を受けた場合に不便がなければ特に訂正はせず、付いてくるものを追い払ったりはしないらしい。
まーさまってそんな人です。
: 6巻「とらわれたみみみとわざぼー」
【梗概】 城の最上階にいたまーは三人のわざぼー使い(みみみ・むむ・めんめん) のところに降りてきた。みみみを捕え人質にし、残りの二人に手下の戦士をけしかけて戦わせようとした。その目的を自分を裏切っためんめんにバラされたので「うらぎり者の弱虫野郎」 と罵り嘲笑していたら、みみみに怒られてしまう。それでも、みみみは計画を阻止する様子がなかったため、手下二人とわざぼー使い二人の試合を決行した。
⇒ 前回の記事で言ったような私事が絡まって、この話を長らく直視できなかった。<まーがめんめんに裏切られたことを訴えたにもかかわらず、みみみが否定した> という出来事だと漠然と理解していた。ゆえに、みみみは酷いこと言ってんじゃないか? と誤解したのである。おそらく、私自身が未練がましいために裏切りということに対して無条件に不安を覚えてしまったのだろう。読むための心の準備ができていなかったのだ。
すっぽ抜けている情報を補完するため話を振り返ってみたい。
*
まーはめんめんに難癖をつける。「うらぎり者の弱虫やろうだ!!」「サイテーだぜ!!」「ハハハハハハ」 と、とても楽しそうに口汚く罵っているので同情しづらくはあるが執拗さから判断すると、まーにめんめんへの未練があるようにも受け止れる。
でも、これが単にめんめんの卑劣さを言って彼を動揺させようとするためのものだということは「うらぎり者のめんめんくん」 と言ってめんめんの動揺を確認した、その直後に「ニィ(擬態語)」 と意地の悪い感じで笑っている。その表情から察するべきである。
ここで一度、めんめんの行動を確認しておきたい。
めんめんには個人的な目的があって、まーのところにいるほうが情報が集まると判断し、<なかまのふり> をしていた。また、彼一人の力ではその目的を達成できないので、みみみとむむに頼んだ(<なかまを作った>)。そして、技神まーという仮にも手を組んでいた<なかまを裏切った> のである。
まーが裏切られた立場であることを考慮すれば、めんめんを卑劣だと言ったことには頷ける。それでも、みみみがまーの言い分を「くだらねぇ」 と切りすてたのはなぜか。それは、まーの行為がめんめんのことを言えたもんじゃない、からではなかったか?
まーは、みみみを捕えて自分の考えたゲーム(試合) の景品のように扱っている。また、<わざぼー使い> であるむむとめんめんが試合でそれぞれ戦うことで2人の持っている<玉の成長> が促される。2人と試合する自分の手下はそのための捨て駒になってもいいと判断している。
自分の思惑を一方的に押し付けて「道具」のように使える他人を<なかま> と呼ぶのがまーであり、自分の目的のために協力を頼み<なかま> を作るが都合が悪いと感じたら簡単に切るのがめんめんである。2人とも自分1人の力では目的を達成できない。目くそ鼻くそだ。
<まーがめんめんに裏切られたことを訴えたにもかかわらず、みみみが否定した> という話ではなく、<めんめんのことを言えない行いをしているにも関わらず馬鹿にする発言をしたまーにみみみが苦言する> という話だった。
今回はまーについて見ていこうというテーマでやっているので、まーのことを書くけれど<自分の思惑を一方的に押し付けて他人を「道具」のように使う> 姿は、先に確認した話にも出てきた「道具(ルビ:なかま)」 という発言と同様の描かれ方をしていると思う。また、自分を優位に立たせるために、めんめんを口汚く罵る様子も見られたが、「くだらねぇ」 とみみみが切りすてたように実際はどっちもどっちである。
: 4巻「技神まーとわざぼー」
【梗概】 シッポウはみみみを倒しに来たが風邪の症状が重く、戦うことができなかった。みみみに看病され全快したものの、みみみに風邪がうつってしまった。なかなか始まらないシッポウとみみみの勝負にしびれをきらした技神まーがそこに現れる。病人と戦うわけにはいかないとみみみを庇うシッポウを軽く跳ねのけて、まーはみみみに攻撃を仕掛ける。まーの一撃を喰らい侵攻を食い止められなかったシッポウは自身の不甲斐なさに気を落とす。しかし、病身でも勝負をあきらめずに応戦するみみみの姿に感銘を受け、再びまーに立ち向かい、攻撃を当てる。それで出来た隙をついてみみみがまーに技を当て勝利したかに思えた。しかし、まーはいつのまにかシッポウに致命的な攻撃を仕掛け、消し去ってしまった。そのショックでみみみは戦うことをあきらめてしまう。
⇒ まーは“なかま” と言って他人を“道具” のように使おうとするし、やってることはどっちもどっちなめんめんを馬鹿にしてまで優位に立ちたい。自分の都合を他人におしつけるような人物ということが見えてきた。そのような人間関係を築く人物の他人への執着を未練などというべきか?
これもまた裏切られる話のようなので、まーの様子を見てみよう。
*
この一つ前の話「風邪ひき戦士とわざぼー」 で、まーはシッポウがなかなかみみみを倒さないので、直接出向く前に“ヤミー軍団” という部隊を送り込んでいる。「キサマがもたもたしてるから、かわりにオレたちが技々みみみを始末してやるぜ!!」 と軍団の一人がシッポウと会話するのを見た限り、シッポウの始末までは目的にしていないようだった。
まーの目的はあくまで、<みみみを殺す> ことだ。その目的に従事しているのであれば、存在を消すまではしないらしい。まーは風邪が治るまで勝負を延期しようとするシッポウに対しては深手を負わせるにとどめている。しかし、みみみがまーを倒すのに加勢した後には容赦なく消し去ってしまう。
じゃあ、やっぱり裏切者は切り捨てるんじゃないか?
でも、よく考えるとシッポウは病人と勝負しようとするまーの横暴を止めようとしている。みみみはまーに挑まれたから勝負として倒しにかかっている。シッポウとみみみでは、まーと戦う目的が違う。それに、シッポウはみみみと勝負する気持ちはあるのだ。
この話は、まーの他者を軽んじる態度と理不尽さを語っているのであって、別にまーが手下に裏切られる話ではなかった。「このオレさまに技をくらわせたコトはほめてやる! それにめんじてとりあえず今回は生かしておいてやるよ」「そんな悲しそうな顔しなくたって、これから何度でも来てやるぜ(ハートマーク)」 と意気消沈して座り込むみみみの“頭を撫でて” まーは去っていく。
―― <みみみを殺す> のが目的のはずのまーが「何度でも来てやる」 とトドメを刺さずに去っていくのは不可解な行動である。これは、第一部でわざぼー使い・むむがみみみとはじめて戦ったとき、勝利したにも関わらず彼の目的である<たからを奪う> ことをせずに立ち去ったことと対応する。「戦士の強さは目の輝きだ。その輝きが消えないかぎり、目を閉じないかぎり! アイツは絶対に死なないんだ!! だから、アイツがあきらめるまでは、何度だって戦ってやる」 と理由を話すむむはみみみの“あきらめない” 姿勢を認めて<何度も> 戦おうと言っているのだ。
それに比べると、「オレさまに技をくらわせたことをほめて」「とりあえず今回は生かしておいてやる」 とは、気まぐれな物言いである。
まーは、身勝手で自分の都合を他人に押し付け、横暴を働く。しかも、強い力をもっていて逆らうものの気力を削ぐ。そんな人物として描かれている。
: 未練がましいイメージはどこからきたの?
さて。書けば書くほど、まーさまの悪口言ってるんじゃないかと言う気持ちになってくるけれど、そういう描かれ方をしているので仕方がない。このように、まーは特に未練がましいわけではない。むしろ、人情があるかもわからない傍若無人な人物として描かれている。なんで他人に執着するようなイメージがあるのかは、私自身が未練がましいのでそれを投影していたのが一番の原因だ。しかし、ここでとりあげたエピソードを見ての通りまーは<なかなか手にかけない> のである。
しびれを切らせたからといって出会いがしらにシッポウを抹殺するわけではないし、裏切ったからと言ってめんめんには悪口を言っただけである。絶好のチャンスだろうに、意気消沈し戦意を失っているみみみに対しては「何度でも来てやる」 と“頭を撫で” て見逃す。
また、シッポウやめんめん以外の手下とのエピソードに以下のようなものがある。
みみみに簡単に倒されてくやしがっている手下を幽霊にして再び戦いに行かせたり(バケラー、4巻)、不細工な顔を見ないためとはいえ「美しすぎるから」 と相手が納得する言い回しを選んで仮面をつけさせたり(オトゲ、4巻) 意のままに使おうとしているにしてもそれなりに丁寧な感じがする。また、まーの強さに心酔している手下(ラヴーマー、5巻) や、うれしいことがあったら報告に来るような手下(ジミー、5巻) もいる。
手下が倒されるのを見守りながら「最初からあんなヤツ、アテにしてなかったが」(4巻) と、捨て駒のように使う様子もみられはするものの、それらエピソードを見ると手下との関係はなんとなく和気あいあいとした雰囲気に見えるのだ※。
※ 報告に来た手下に対しては任務をすっかり忘れていたので腹を立てて「死ね」 と殴りかかったが、ギャグのテンポで交わされるやり取りなのでじゃれ合っているふうに見える。
児童向けマンガとか、話を進行する都合とか、明るいギャグのノリで演出しているからとか、創作背景の事情はあるだろうが、手下との描写を拾ってみると悪い対応はしていないように思える。これは手下がまーに素直に従っているからだろうか? とにかく、良好な関係にみえるのだ。それに加えて、まーは<なかなか手にかけない> 。
良好な関係を築いているゆえに<なかなか手にかけない> のではないか? それはつまり執着しているように見えるし、未練がのこることがあるかもしれない、と思いたくなる。果たして、<なかなか手にかけない> のはなぜか。
逆に、すぐに手打ちにする人物もこの物語には登場する。むむとめんめんだ。いずれも同僚に斬りかかり、手にかけている。むむはみみみを諌めて「たおした相手はとどめをさせ! それがアイツのためだ!」 と、マンジーにとどめをさした(1巻)。めんめんに至っては、ピンチに陥ったズラームが共闘しようと誘っているにもかかわらず「ボク、弱いヤツは嫌いなんだ(ハートマーク)」 ととどめをさしてしまう(5巻)。
試論だが、2人ともそのあと自分が遣えている“わざ武王” や“技神まー” と手を切ってその一味であることをやめるので、作者は<同僚を手打ちにする> 描写に、彼らが所属しているボスとの決別への布石を意図しているのかもしれない。
そう考えると<なかなか手にかけない> というのは、被支配者が同僚に対する場合はまだ所属しているボス(支配者) の一味として働く意思があることを表し、また、支配者が被支配者をそうする場合は自分の意のままになるものとして扱おうという態度のあらわれのようである。(※) まーがみみみを倒さなかったのは意気消沈したみみみを侮り、自分の都合でいつでも倒せる(支配可能) と判断したからではなかったか。”頭を撫で” たのは、そのように支配者あるいは征服者の態度からでてきた行動のようではないか。
※ 2巻「闇の中の死闘とわざぼー」~ 3巻「悪夢の記憶とわざぼー」 のわざ武王がむむを捕えていた例もある。
手下とのやりとりが和気あいあいに見えるということは、関係が安定している状態だ。主従関係が成立している。また、<なかなか手にかけない> ことで放置しておくかぎりは安定を装うことは可能だし、圧力をかけることで反逆を抑止することもできる。未練というよりは、政治的に振舞っているだけではないか。<付いてくるものを追い払ったりはしない> のも、手駒を増やすためだろう。
: まとめ
今回は、私自身のコンプレクスなり思想なりを挟まずに、記述(描写) のみから技神まーの人物像を見ていこうというテーマでした。以上で見てきたことをまとめる。
まーは自分の目的のために他者を支配することも害することもいとわない。その身勝手さは、「道具(ルビ: なかま)」 という台詞にあるように<なかま> と言って他人を「道具」 のように扱う態度として表れている。また、優位に立つためなら他人を威圧する。力も強く、逆らう者の気力を挫く。
そんな傍若無人な人物として描かれていた。
それを前提にすると、手下との関係が良好そうな描写や、反発するものを<なかなか手にかけない> こと、<付いてくるものを追い払ったりはしない> こと、めんめんを罵倒したこと、みみみの“頭を撫で” たことなど、すべて政治的意図で自分を優位において支配者として君臨するための行為であり、また、地位を築いていることを表したものだ、と理解できそうである。
個人に対する優劣関係以外の感情的な描写はとりたててないように思うがどうか。
*
それでも、まーの行為に他者への感情的な理由づけをしたくなるのは、初登場時チャオチャオが自分を助けてくれたものだと好意的に勘違いしたように、読者だってまーにそういった感情があると期待する。
それは「とらわれたみみみとわざぼー」 の冒頭で、みみみたちのところへ降りてきたことを「さびしかったのか」 と3人から言われて全力で否定しているように、まーにはありえないことなのかもしれない。しかし、そのすぐ後にめんめんの「うらぎり」 を取沙汰しているのだから、さみしいんじゃないか? めんめんに未練でもあるんじゃないか? と考えたくなる。
もっと言うと、めんめんがむむに頭を撫でられているのを見たみみみが2人ばっかり仲良くなってズルいと言っている、3人の和気あいあいとした雰囲気が描かれた直後に降りてきて(「3人のチカラとわざぼー」)、まーはみみみの頭を撫でる。これもまた、みみみと仲良くしたいんじゃないかと勘ぐりたくなる。(どうかすると、むむがめんめんの頭を撫でたから降りてきたんじゃないかとも思う。)
でも、そういうことはなくて、まーは<オレのため> に<玉の成長> によって強い状態で復活させた<怪物> の力を我がものにしようと脇目もふらず邁進している。「この世界でだれよりもすぐれた最強のイチバンになる」 ため、より<確実な方法> を選んでいる。
―― 一生懸命なところは良いところだと思うよ!
そもそも、私がまーの何に共感したかといえばそういうところだったじゃないか。
(別に惚れ直した発言をしたいわけではない)
次回、
まーがそのように振舞ったことでどんな目にあったかを見ていきたいと思います。
―― 最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
● ちゃんと話を読もう(既述に基づいた技神まーの人物像の確認)
なまっとは自分の問題を投影して誤読しまくってるっぽい。だから、もうちょっと落ち着いて、話を読み返してみたらどうかしら? ということで読み間違えていそうなエピソードを一個ずつ丁寧に見ていきます。
: 3巻「技神まーと・・・・」
【梗概】 幼いチャオチャオはヘビィというガラの悪い男に金をせびられ脅かされていた。そこにマント姿の少年が通りかかり、目にもとまらぬ攻撃でヘビィを気絶させた。助けてくれたと思ったチャオチャオは少年に懐いてついて行く。気が付いたヘビィはマントの少年への復讐に燃える。夜、たき火を囲って休んでいる2人のもとに現れ、チャオチャオを人質にして戦いを挑む。少年はチャオチャオを助けたつもりも、助けるつもりもなく、自身の計画のため戦う相手を探していただけだと言った。体の中から取り出した武器でヘビィに血しぶきをあげさせ倒す。怯んだチャオチャオは「道具(ルビ:なかま) のトコロ」 へ行くという技神まーと名のったその少年の背中を見送った。
⇒ まず、技神まーが初登場した話での描かれ方を見てみましょう。
*
技神まーの描かれ方は、対戦したヘビィに血しぶきをあげさせるという残酷な攻撃をしたり、口が悪かったり、目つきが悪かったり。見た目全体のギザギザ加減といい、極悪人の様相である。梗概を載せたが、まーは一見人助けをしたようでいて、実は戦えそうな相手を探していただけだった。たまたま相手になりそうな男が小さい子を恐喝しているところに出くわしたのだった。
「オレが昼間オマエと戦ったのは、オレのため、そして玉の成長のため」
「そんなクソガキどうだっていいんだ」
この話ではまだ詳細は語られない情報だが、補足すると“わざぼー” という武器で敵を倒すと持っている“玉” にパワーがたまる事を指して「玉の成長」 と言っている。そのパワーが多くたまっているほど彼が復活させようとしている怪物“わざ武王” の力が強大になる。まーは“わざ武王” の力を使って、世界でイチバン強くなろうとしているので、それは「オレのため」 なのである。
彼の言葉どおり受け止るなら、彼は人助けをするつもりなど全くなく、すべて<自分のため> に行動している。自分のための振る舞いに偶然が重なって客観的には別の見え方をしてしまうだけなのだ。このように、好意的な誤解を誘う姿が描かれたことが、彼についての解釈を大きく混乱させたように思う。
「道具(ルビ:なかま)のところ」 へ行くという発言を前回、
「道具」を意味して「なかま」 と呼ぶ。つまり、それらを同等のものとみなしているようである。台詞では「道具(自分が自分の意思によって使う自分以外のもの)」 の意味のほうが強い。しかし、同等ととるならば「なかま(自分と共通点のある自分以外のもの)」 の意味が強くなることもあり得るのではないか。自分と他者の関係性の認識が混乱している様子。と私自身のコンプレクスによせて書いた。これは私の奔放な言い分なので、作中の描写から読み取った意味ではない。本来は、まーと同じく“わざぼーを持っている人物(作中<わざぼー使い> と呼ばれる)” をさしており、絵画的にはこの台詞を言う直前のコマにみみみとむむの姿を描くことで説明している。彼らを先の「オレのため」「玉の成長ため」 の「道具」 として使おうとしている、という意味なのだ。まーの利益となるような働きを強いろうとしているにも拘わらず“なかま” などとあたかも協力しているかのような表現をする身勝手さを読み取るべきところである。
この話の中では、チャオチャオが好意的に誤解してまーを慕っていた。まーは付いてくるものを追い払ったりはしない。もしかすると、他人の善意がさせた好意的誤解によって手下を獲得するようなこともあったかもしれない。が、そのような描写はなく想像の域をでないので示唆するにとどめておく。
この話では、まーの破壊性の強さと、自分の目的のために他者を支配することも、害することもいとわない身勝手さが描かれており、その態度は「道具(ルビ: なかま)」 という発言にも表れている。また、他者から好意的誤解を受けた場合に不便がなければ特に訂正はせず、付いてくるものを追い払ったりはしないらしい。
まーさまってそんな人です。
: 6巻「とらわれたみみみとわざぼー」
【梗概】 城の最上階にいたまーは三人のわざぼー使い(みみみ・むむ・めんめん) のところに降りてきた。みみみを捕え人質にし、残りの二人に手下の戦士をけしかけて戦わせようとした。その目的を自分を裏切っためんめんにバラされたので「うらぎり者の弱虫野郎」 と罵り嘲笑していたら、みみみに怒られてしまう。それでも、みみみは計画を阻止する様子がなかったため、手下二人とわざぼー使い二人の試合を決行した。
⇒ 前回の記事で言ったような私事が絡まって、この話を長らく直視できなかった。<まーがめんめんに裏切られたことを訴えたにもかかわらず、みみみが否定した> という出来事だと漠然と理解していた。ゆえに、みみみは酷いこと言ってんじゃないか? と誤解したのである。おそらく、私自身が未練がましいために裏切りということに対して無条件に不安を覚えてしまったのだろう。読むための心の準備ができていなかったのだ。
すっぽ抜けている情報を補完するため話を振り返ってみたい。
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まーはめんめんに難癖をつける。「うらぎり者の弱虫やろうだ!!」「サイテーだぜ!!」「ハハハハハハ」 と、とても楽しそうに口汚く罵っているので同情しづらくはあるが執拗さから判断すると、まーにめんめんへの未練があるようにも受け止れる。
でも、これが単にめんめんの卑劣さを言って彼を動揺させようとするためのものだということは「うらぎり者のめんめんくん」 と言ってめんめんの動揺を確認した、その直後に「ニィ(擬態語)」 と意地の悪い感じで笑っている。その表情から察するべきである。
ここで一度、めんめんの行動を確認しておきたい。
めんめんには個人的な目的があって、まーのところにいるほうが情報が集まると判断し、<なかまのふり> をしていた。また、彼一人の力ではその目的を達成できないので、みみみとむむに頼んだ(<なかまを作った>)。そして、技神まーという仮にも手を組んでいた<なかまを裏切った> のである。
まーが裏切られた立場であることを考慮すれば、めんめんを卑劣だと言ったことには頷ける。それでも、みみみがまーの言い分を「くだらねぇ」 と切りすてたのはなぜか。それは、まーの行為がめんめんのことを言えたもんじゃない、からではなかったか?
まーは、みみみを捕えて自分の考えたゲーム(試合) の景品のように扱っている。また、<わざぼー使い> であるむむとめんめんが試合でそれぞれ戦うことで2人の持っている<玉の成長> が促される。2人と試合する自分の手下はそのための捨て駒になってもいいと判断している。
自分の思惑を一方的に押し付けて「道具」のように使える他人を<なかま> と呼ぶのがまーであり、自分の目的のために協力を頼み<なかま> を作るが都合が悪いと感じたら簡単に切るのがめんめんである。2人とも自分1人の力では目的を達成できない。目くそ鼻くそだ。
<まーがめんめんに裏切られたことを訴えたにもかかわらず、みみみが否定した> という話ではなく、<めんめんのことを言えない行いをしているにも関わらず馬鹿にする発言をしたまーにみみみが苦言する> という話だった。
今回はまーについて見ていこうというテーマでやっているので、まーのことを書くけれど<自分の思惑を一方的に押し付けて他人を「道具」のように使う> 姿は、先に確認した話にも出てきた「道具(ルビ:なかま)」 という発言と同様の描かれ方をしていると思う。また、自分を優位に立たせるために、めんめんを口汚く罵る様子も見られたが、「くだらねぇ」 とみみみが切りすてたように実際はどっちもどっちである。
: 4巻「技神まーとわざぼー」
【梗概】 シッポウはみみみを倒しに来たが風邪の症状が重く、戦うことができなかった。みみみに看病され全快したものの、みみみに風邪がうつってしまった。なかなか始まらないシッポウとみみみの勝負にしびれをきらした技神まーがそこに現れる。病人と戦うわけにはいかないとみみみを庇うシッポウを軽く跳ねのけて、まーはみみみに攻撃を仕掛ける。まーの一撃を喰らい侵攻を食い止められなかったシッポウは自身の不甲斐なさに気を落とす。しかし、病身でも勝負をあきらめずに応戦するみみみの姿に感銘を受け、再びまーに立ち向かい、攻撃を当てる。それで出来た隙をついてみみみがまーに技を当て勝利したかに思えた。しかし、まーはいつのまにかシッポウに致命的な攻撃を仕掛け、消し去ってしまった。そのショックでみみみは戦うことをあきらめてしまう。
⇒ まーは“なかま” と言って他人を“道具” のように使おうとするし、やってることはどっちもどっちなめんめんを馬鹿にしてまで優位に立ちたい。自分の都合を他人におしつけるような人物ということが見えてきた。そのような人間関係を築く人物の他人への執着を未練などというべきか?
ルールを守らない他者に攻撃的―― 命令に従わなかったり、こなせなかったり、裏切ったりした手下にすごく厳しい。裏切った場合は即時に切り捨てるのではなく、しつこく干渉する(シッポウ、めんめん)。未練がましい。などという印象を持っていたが、いよいよ見方の偏りを自覚して、自分の言ったことが疑わしくなってくるわけです。
これもまた裏切られる話のようなので、まーの様子を見てみよう。
*
この一つ前の話「風邪ひき戦士とわざぼー」 で、まーはシッポウがなかなかみみみを倒さないので、直接出向く前に“ヤミー軍団” という部隊を送り込んでいる。「キサマがもたもたしてるから、かわりにオレたちが技々みみみを始末してやるぜ!!」 と軍団の一人がシッポウと会話するのを見た限り、シッポウの始末までは目的にしていないようだった。
まーの目的はあくまで、<みみみを殺す> ことだ。その目的に従事しているのであれば、存在を消すまではしないらしい。まーは風邪が治るまで勝負を延期しようとするシッポウに対しては深手を負わせるにとどめている。しかし、みみみがまーを倒すのに加勢した後には容赦なく消し去ってしまう。
じゃあ、やっぱり裏切者は切り捨てるんじゃないか?
でも、よく考えるとシッポウは病人と勝負しようとするまーの横暴を止めようとしている。みみみはまーに挑まれたから勝負として倒しにかかっている。シッポウとみみみでは、まーと戦う目的が違う。それに、シッポウはみみみと勝負する気持ちはあるのだ。
この話は、まーの他者を軽んじる態度と理不尽さを語っているのであって、別にまーが手下に裏切られる話ではなかった。「このオレさまに技をくらわせたコトはほめてやる! それにめんじてとりあえず今回は生かしておいてやるよ」「そんな悲しそうな顔しなくたって、これから何度でも来てやるぜ(ハートマーク)」 と意気消沈して座り込むみみみの“頭を撫でて” まーは去っていく。
―― <みみみを殺す> のが目的のはずのまーが「何度でも来てやる」 とトドメを刺さずに去っていくのは不可解な行動である。これは、第一部でわざぼー使い・むむがみみみとはじめて戦ったとき、勝利したにも関わらず彼の目的である<たからを奪う> ことをせずに立ち去ったことと対応する。「戦士の強さは目の輝きだ。その輝きが消えないかぎり、目を閉じないかぎり! アイツは絶対に死なないんだ!! だから、アイツがあきらめるまでは、何度だって戦ってやる」 と理由を話すむむはみみみの“あきらめない” 姿勢を認めて<何度も> 戦おうと言っているのだ。
それに比べると、「オレさまに技をくらわせたことをほめて」「とりあえず今回は生かしておいてやる」 とは、気まぐれな物言いである。
まーは、身勝手で自分の都合を他人に押し付け、横暴を働く。しかも、強い力をもっていて逆らうものの気力を削ぐ。そんな人物として描かれている。
: 未練がましいイメージはどこからきたの?
さて。書けば書くほど、まーさまの悪口言ってるんじゃないかと言う気持ちになってくるけれど、そういう描かれ方をしているので仕方がない。このように、まーは特に未練がましいわけではない。むしろ、人情があるかもわからない傍若無人な人物として描かれている。なんで他人に執着するようなイメージがあるのかは、私自身が未練がましいのでそれを投影していたのが一番の原因だ。しかし、ここでとりあげたエピソードを見ての通りまーは<なかなか手にかけない> のである。
しびれを切らせたからといって出会いがしらにシッポウを抹殺するわけではないし、裏切ったからと言ってめんめんには悪口を言っただけである。絶好のチャンスだろうに、意気消沈し戦意を失っているみみみに対しては「何度でも来てやる」 と“頭を撫で” て見逃す。
また、シッポウやめんめん以外の手下とのエピソードに以下のようなものがある。
みみみに簡単に倒されてくやしがっている手下を幽霊にして再び戦いに行かせたり(バケラー、4巻)、不細工な顔を見ないためとはいえ「美しすぎるから」 と相手が納得する言い回しを選んで仮面をつけさせたり(オトゲ、4巻) 意のままに使おうとしているにしてもそれなりに丁寧な感じがする。また、まーの強さに心酔している手下(ラヴーマー、5巻) や、うれしいことがあったら報告に来るような手下(ジミー、5巻) もいる。
手下が倒されるのを見守りながら「最初からあんなヤツ、アテにしてなかったが」(4巻) と、捨て駒のように使う様子もみられはするものの、それらエピソードを見ると手下との関係はなんとなく和気あいあいとした雰囲気に見えるのだ※。
※ 報告に来た手下に対しては任務をすっかり忘れていたので腹を立てて「死ね」 と殴りかかったが、ギャグのテンポで交わされるやり取りなのでじゃれ合っているふうに見える。
児童向けマンガとか、話を進行する都合とか、明るいギャグのノリで演出しているからとか、創作背景の事情はあるだろうが、手下との描写を拾ってみると悪い対応はしていないように思える。これは手下がまーに素直に従っているからだろうか? とにかく、良好な関係にみえるのだ。それに加えて、まーは<なかなか手にかけない> 。
良好な関係を築いているゆえに<なかなか手にかけない> のではないか? それはつまり執着しているように見えるし、未練がのこることがあるかもしれない、と思いたくなる。果たして、<なかなか手にかけない> のはなぜか。
逆に、すぐに手打ちにする人物もこの物語には登場する。むむとめんめんだ。いずれも同僚に斬りかかり、手にかけている。むむはみみみを諌めて「たおした相手はとどめをさせ! それがアイツのためだ!」 と、マンジーにとどめをさした(1巻)。めんめんに至っては、ピンチに陥ったズラームが共闘しようと誘っているにもかかわらず「ボク、弱いヤツは嫌いなんだ(ハートマーク)」 ととどめをさしてしまう(5巻)。
試論だが、2人ともそのあと自分が遣えている“わざ武王” や“技神まー” と手を切ってその一味であることをやめるので、作者は<同僚を手打ちにする> 描写に、彼らが所属しているボスとの決別への布石を意図しているのかもしれない。
そう考えると<なかなか手にかけない> というのは、被支配者が同僚に対する場合はまだ所属しているボス(支配者) の一味として働く意思があることを表し、また、支配者が被支配者をそうする場合は自分の意のままになるものとして扱おうという態度のあらわれのようである。(※) まーがみみみを倒さなかったのは意気消沈したみみみを侮り、自分の都合でいつでも倒せる(支配可能) と判断したからではなかったか。”頭を撫で” たのは、そのように支配者あるいは征服者の態度からでてきた行動のようではないか。
※ 2巻「闇の中の死闘とわざぼー」~ 3巻「悪夢の記憶とわざぼー」 のわざ武王がむむを捕えていた例もある。
手下とのやりとりが和気あいあいに見えるということは、関係が安定している状態だ。主従関係が成立している。また、<なかなか手にかけない> ことで放置しておくかぎりは安定を装うことは可能だし、圧力をかけることで反逆を抑止することもできる。未練というよりは、政治的に振舞っているだけではないか。<付いてくるものを追い払ったりはしない> のも、手駒を増やすためだろう。
: まとめ
今回は、私自身のコンプレクスなり思想なりを挟まずに、記述(描写) のみから技神まーの人物像を見ていこうというテーマでした。以上で見てきたことをまとめる。
まーは自分の目的のために他者を支配することも害することもいとわない。その身勝手さは、「道具(ルビ: なかま)」 という台詞にあるように<なかま> と言って他人を「道具」 のように扱う態度として表れている。また、優位に立つためなら他人を威圧する。力も強く、逆らう者の気力を挫く。
そんな傍若無人な人物として描かれていた。
それを前提にすると、手下との関係が良好そうな描写や、反発するものを<なかなか手にかけない> こと、<付いてくるものを追い払ったりはしない> こと、めんめんを罵倒したこと、みみみの“頭を撫で” たことなど、すべて政治的意図で自分を優位において支配者として君臨するための行為であり、また、地位を築いていることを表したものだ、と理解できそうである。
個人に対する優劣関係以外の感情的な描写はとりたててないように思うがどうか。
*
それでも、まーの行為に他者への感情的な理由づけをしたくなるのは、初登場時チャオチャオが自分を助けてくれたものだと好意的に勘違いしたように、読者だってまーにそういった感情があると期待する。
それは「とらわれたみみみとわざぼー」 の冒頭で、みみみたちのところへ降りてきたことを「さびしかったのか」 と3人から言われて全力で否定しているように、まーにはありえないことなのかもしれない。しかし、そのすぐ後にめんめんの「うらぎり」 を取沙汰しているのだから、さみしいんじゃないか? めんめんに未練でもあるんじゃないか? と考えたくなる。
もっと言うと、めんめんがむむに頭を撫でられているのを見たみみみが2人ばっかり仲良くなってズルいと言っている、3人の和気あいあいとした雰囲気が描かれた直後に降りてきて(「3人のチカラとわざぼー」)、まーはみみみの頭を撫でる。これもまた、みみみと仲良くしたいんじゃないかと勘ぐりたくなる。(どうかすると、むむがめんめんの頭を撫でたから降りてきたんじゃないかとも思う。)
でも、そういうことはなくて、まーは<オレのため> に<玉の成長> によって強い状態で復活させた<怪物> の力を我がものにしようと脇目もふらず邁進している。「この世界でだれよりもすぐれた最強のイチバンになる」 ため、より<確実な方法> を選んでいる。
―― 一生懸命なところは良いところだと思うよ!
そもそも、私がまーの何に共感したかといえばそういうところだったじゃないか。
(別に惚れ直した発言をしたいわけではない)
次回、
まーがそのように振舞ったことでどんな目にあったかを見ていきたいと思います。
―― 最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
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