深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
● この記事は「わざぼー・わざぐぅ!」に関する記事ではありません。
● あるサイトに触発されて勢いで書きましたが、展開が雑だったので直しました(2015.6.30)
作品を読む人たち同士の無意味な争いがある。
作品にまつわる情報(内容、作家に関する情報、作品を取り巻く環境 など) について云々言う読み方を怒る人たちがいる。曰く「素直じゃない」「曲がった読み方」「間違っている」など、相手を偏屈で異常な邪悪 であるかのように言う。また、彼ら「素直で」「真っ直ぐ」な自分たちは「清く正しい読者」だと信じて疑わない人に対し、「感情だけでものをいう馬鹿」と上から目線で応じたりすると、ますます溝は埋まらない。
(※ この例には大袈裟な脚色が施されています!)
互いへの偏見をぶつけ合うばかりの揉め事に私は疲れた。
誰が何をどう感じようが、どう読もうが自由なのだから、どちらが「間違っている」なんてことはない。どっちもありなんだ。どっちが高尚でどっちが卑俗か、プリティでキュアか、イジワルか、みたいな。作品の感じ方一つで人格にも言及せん勢いで優劣をつけるのはおかしい。
何をどう感じたかを表現し伝えるヘタウマはあるかもしれないけれど、どう感じているかはその人の文化背景も関わってくる。それを一方の見方から一方的にランク付けするのはよくないと思う。
わたしはこの種の差別的な見方をして失敗したことが山ほどあるし、こういった偏見が世の中にあることに常に怯えている。そのために、他人とのコミュニケーションが厳しく、家の外の社会からはほぼ孤立状態である。正直、他人と関わることに対して半ば絶望しており、いつ衝動的に思いつめて死ぬかもわからない。
そんなことに殺されてたまるか!!
と思う。本を読むなんて個人の勝手気ままな行為の他人のそれについて、自分の好き/嫌い に加えて社会的位置づけや人格の質の良し悪しを結びつけて言うのはやめないか? と私は主張したい。好き/嫌い だけでいいじゃないか。
・・・・但し、どう読むかは自由だけれど、そう読みたいがために、事実をなかったことにしたり、あるいは偽ったり、捏造することは読むとは言わない。それは、創作です。
● あるサイトに触発されて勢いで書きましたが、展開が雑だったので直しました(2015.6.30)
作品を読む人たち同士の無意味な争いがある。
作品にまつわる情報(内容、作家に関する情報、作品を取り巻く環境 など) について云々言う読み方を怒る人たちがいる。曰く「素直じゃない」「曲がった読み方」「間違っている」など、相手を偏屈で異常な邪悪 であるかのように言う。また、彼ら「素直で」「真っ直ぐ」な自分たちは「清く正しい読者」だと信じて疑わない人に対し、「感情だけでものをいう馬鹿」と上から目線で応じたりすると、ますます溝は埋まらない。
(※ この例には大袈裟な脚色が施されています!)
互いへの偏見をぶつけ合うばかりの揉め事に私は疲れた。
誰が何をどう感じようが、どう読もうが自由なのだから、どちらが「間違っている」なんてことはない。どっちもありなんだ。どっちが高尚でどっちが卑俗か、プリティでキュアか、イジワルか、みたいな。作品の感じ方一つで人格にも言及せん勢いで優劣をつけるのはおかしい。
何をどう感じたかを表現し伝えるヘタウマはあるかもしれないけれど、どう感じているかはその人の文化背景も関わってくる。それを一方の見方から一方的にランク付けするのはよくないと思う。
わたしはこの種の差別的な見方をして失敗したことが山ほどあるし、こういった偏見が世の中にあることに常に怯えている。そのために、他人とのコミュニケーションが厳しく、家の外の社会からはほぼ孤立状態である。正直、他人と関わることに対して半ば絶望しており、いつ衝動的に思いつめて死ぬかもわからない。
そんなことに殺されてたまるか!!
と思う。本を読むなんて個人の勝手気ままな行為の他人のそれについて、自分の好き/嫌い に加えて社会的位置づけや人格の質の良し悪しを結びつけて言うのはやめないか? と私は主張したい。好き/嫌い だけでいいじゃないか。
・・・・但し、どう読むかは自由だけれど、そう読みたいがために、事実をなかったことにしたり、あるいは偽ったり、捏造することは読むとは言わない。それは、創作です。
* * *
● リトル・トリー
私の儚く健気な主張を言うにあたり、ちょっと古いし、読んだこともなく、客観的にみられる例だと思ったので、フォレスト・カーター『リトル・トリー(普及版)』に寄せられたアマゾンのカスタマーレビューを見ながらお話します。(引用許諾をとる手間を省くため、直接参照いただければと思います)『リトル・トリー』の概要はウィキペディアの「アサ・アール・カーター」に詳しい。
また、横浜市立図書館の要旨も参考として引用しておきます。
● アマゾンのレビューを見ながら考えよう!
アマゾンには合計41件のレビューが寄せられています。
とくに、☆5をつけているレビューを頭2ページ分と、☆1をつけている8件のレビューを読むと、評価者同士で自身の記事から他方の意見をdisって遠まわしな言い争いをしている様子が確認できます。きゃー、なんだか不穏! また、大体どういったことで評価が割れているかもなんとなくわかるでしょう。
以下より、言い争っていること、また、評価が割れていることを独自に分析して大分端折った説明をしつつ私が言いたいことを書いて行きます。(上記レビュー参照したことを前提に書きます)
*
おそらく、『リトル・トリー』は素敵な<物語>なのだと思う。人間の営みが魅力的に描写されている。それは、民俗内でのみ通じるうちわネタ的感覚と言うよりは、人の感情に訴える普遍的な感性によるものだから、ではないか。(この作品自体、翻訳もので、作者や題材にしている文化とは縁もゆかりもない日本人が共感できることを示している)
著者の主義主張立場、人種差別主義者というデータを踏まえてもなお、作品が読者に共感や感動を与えるものであることを認める意見が多くある。だが、同時に、題材に選ばれたものが筆者の差別対象の民族でかつ、当事者でないにもかかわらず当事者と偽って描いたことでまことしやかに嘘のイメージが付与されたことは許しがたい、という意見も重要である。
そのような批判を頭ごなしに「曲がっている」「素直じゃない」「偽物か本物かは自分の心が決めればいい」「内容ではなく感動を裏切られたという感情的な意見」などと切り捨てるべきではない。感動できたら本物ということにすると、一方的なイメージの押し付けや偏見を本物と偽ることになる。
・・・いや、たぶん彼らは作中の歴史的文化的事実として描かれていることが嘘だ(これは紛れもない事実)ということを、なかったことにしたいのではない。作品に描かれている読者自身の感性に訴える部分について言っているのだと思う。また、自分が感動したというのも真実なのだと言いたいのだろう。
もちろんそれは本物の感動だ。しかし、作品に疑惑やゴシップ、ケチがつくと、それを評価した自分自身の感性を否定されたようで、必要以上に傷つく人がいる。間違いを指摘されたと自己嫌悪に苛まれる人もいる。決して、作品自体の評価=読者の感性への評価 ではないし、それによって読者の人格を決めつけることはできない。そんなふうに考えるのはおかしい。
自分の感性を守るために、すでに明らかになっている事実を直視しない態度は作品に誠実でない、と私は思う。(そもそもこれの場合本が読者に対し誠実じゃないんだけどね)「ああいう観点からいったらろくでもない作品なんだけど、わたしはこの作品のこういうところが大好き!」で良いと思います。
… ハイ。
読者に「心で感じることのできる物語」と評されるほど楽しめる内容だが、出版に際して作品の出自を明確にしなかったことでケチがついてしまったという要素もあったろう。(ゆえに「裏切られた」「詐欺」と言う人がいる) 出版社に人々に読んでほしい作品だという意向があるのなら、事実が判明していたら(※)、あるいは判明したらすぐにでもノンフィクションではなく創作。作者はKKKのメンバーで云々という予備情報を公表しつつ、楽しさに干渉しない工夫をしたフォローや意見を解説として添えれば良かったのではないか。
翻訳本の出版元であるめるくまーるは加盟していないけど日本書籍出版協会(出版事業の健全な発達、文化の向上と社会の進展に寄与することを目的とする団体)では、出版物に「社会公共に与える影響」があることを大きくうけとめ責任をもって出版しましょう! と出版する人たちに向けて<出版倫理>を掲げています。1項目で言っています。
良い本なら良い本として読みたかったよ!!
・・・ ということで、書いておくべきこととして再度はっきり宣言しておきますが、
この記事を書くにあたり私は『リトル・トリー』を読んでいないことをここに断っておきます。
※ ニューメキシコ大学出版局は1991年以降、『リトル・トリー』の表紙にあった「実話」("True Story")という部分を削除し、フィクションであるとのラベルを付けて出版するようになった…[wikipedia より]
● おわりに
ごく個人的にですが、アマゾンのレビューは☆2をつけている方のものが、作品の嘘/本物、一切の価値がない/感動できる価値ある一冊という両者いまいち論点がかみ合っていない不毛な争いと距離を置いたご意見で、好きです。
『リトル・トリー』の読者がアマゾンの読者レビューを舞台に揉めている様子を外側からふーん、と眺めながら愚かな者たちめ・・・ と超越者的上から目線で観察しつつ、自分の言いたいことを語らせていただきました。何様。
なお、WEBをあさってもこの作品について言ってる人がたくさんいらっしゃいます。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
また、一方的に参考にさせていただいたアマゾンのレビュー執筆者の方々、失礼しました!
(意見を参考にした部分は「」で示しています。)
・・・ ではでは、今回はこのへんでノシ
● リトル・トリー
私の儚く健気な主張を言うにあたり、ちょっと古いし、読んだこともなく、客観的にみられる例だと思ったので、フォレスト・カーター『リトル・トリー(普及版)』に寄せられたアマゾンのカスタマーレビューを見ながらお話します。(引用許諾をとる手間を省くため、直接参照いただければと思います)『リトル・トリー』の概要はウィキペディアの「アサ・アール・カーター」に詳しい。
また、横浜市立図書館の要旨も参考として引用しておきます。
本書は、東チェロキーの山中における著者と祖父母との生活をつづった自伝的な回想録である。1930年代、経済大恐慌下の一生活記録として貴重だが、単にそれだけのものにとどまらず、どんな時代のどんな人にも共感を与えうる人間的な記録に高められている。万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持っている。
● アマゾンのレビューを見ながら考えよう!
アマゾンには合計41件のレビューが寄せられています。
とくに、☆5をつけているレビューを頭2ページ分と、☆1をつけている8件のレビューを読むと、評価者同士で自身の記事から他方の意見をdisって遠まわしな言い争いをしている様子が確認できます。きゃー、なんだか不穏! また、大体どういったことで評価が割れているかもなんとなくわかるでしょう。
以下より、言い争っていること、また、評価が割れていることを独自に分析して大分端折った説明をしつつ私が言いたいことを書いて行きます。(上記レビュー参照したことを前提に書きます)
*
おそらく、『リトル・トリー』は素敵な<物語>なのだと思う。人間の営みが魅力的に描写されている。それは、民俗内でのみ通じるうちわネタ的感覚と言うよりは、人の感情に訴える普遍的な感性によるものだから、ではないか。(この作品自体、翻訳もので、作者や題材にしている文化とは縁もゆかりもない日本人が共感できることを示している)
著者の主義主張立場、人種差別主義者というデータを踏まえてもなお、作品が読者に共感や感動を与えるものであることを認める意見が多くある。だが、同時に、題材に選ばれたものが筆者の差別対象の民族でかつ、当事者でないにもかかわらず当事者と偽って描いたことでまことしやかに嘘のイメージが付与されたことは許しがたい、という意見も重要である。
そのような批判を頭ごなしに「曲がっている」「素直じゃない」「偽物か本物かは自分の心が決めればいい」「内容ではなく感動を裏切られたという感情的な意見」などと切り捨てるべきではない。感動できたら本物ということにすると、一方的なイメージの押し付けや偏見を本物と偽ることになる。
・・・いや、たぶん彼らは作中の歴史的文化的事実として描かれていることが嘘だ(これは紛れもない事実)ということを、なかったことにしたいのではない。作品に描かれている読者自身の感性に訴える部分について言っているのだと思う。また、自分が感動したというのも真実なのだと言いたいのだろう。
もちろんそれは本物の感動だ。しかし、作品に疑惑やゴシップ、ケチがつくと、それを評価した自分自身の感性を否定されたようで、必要以上に傷つく人がいる。間違いを指摘されたと自己嫌悪に苛まれる人もいる。決して、作品自体の評価=読者の感性への評価 ではないし、それによって読者の人格を決めつけることはできない。そんなふうに考えるのはおかしい。
自分の感性を守るために、すでに明らかになっている事実を直視しない態度は作品に誠実でない、と私は思う。(そもそもこれの場合本が読者に対し誠実じゃないんだけどね)「ああいう観点からいったらろくでもない作品なんだけど、わたしはこの作品のこういうところが大好き!」で良いと思います。
… ハイ。
読者に「心で感じることのできる物語」と評されるほど楽しめる内容だが、出版に際して作品の出自を明確にしなかったことでケチがついてしまったという要素もあったろう。(ゆえに「裏切られた」「詐欺」と言う人がいる) 出版社に人々に読んでほしい作品だという意向があるのなら、事実が判明していたら(※)、あるいは判明したらすぐにでもノンフィクションではなく創作。作者はKKKのメンバーで云々という予備情報を公表しつつ、楽しさに干渉しない工夫をしたフォローや意見を解説として添えれば良かったのではないか。
翻訳本の出版元であるめるくまーるは加盟していないけど日本書籍出版協会(出版事業の健全な発達、文化の向上と社会の進展に寄与することを目的とする団体)では、出版物に「社会公共に与える影響」があることを大きくうけとめ責任をもって出版しましょう! と出版する人たちに向けて<出版倫理>を掲げています。1項目で言っています。
出版物は、学術の進歩、文芸の興隆、教育の普及、人心の高揚に資するものでなければならない。われわれは、たかく人類の理想を追い、ひろく文化の交流をはかり、あまねく社会福祉の増進に最善の努力を払う。
努力してくれていれば、<この本は詐欺、だまされる奴は馬鹿> とか<無視できない人は曲がった読み方をする素直じゃない人> などという事実を過剰に受け止めたり、事実を過小評価する、いずれにしろ他方を蔑み排除する方向に意識が向いている変な発想に結びつけることを抑止できたのではないか、と思う。言っておくべきことは書いておかないと無駄な争いを巻き起こす。この例に限って言いますが、作品は悪くないとしても出版社は悪いと思う。
良い本なら良い本として読みたかったよ!!
・・・ ということで、書いておくべきこととして再度はっきり宣言しておきますが、
この記事を書くにあたり私は『リトル・トリー』を読んでいないことをここに断っておきます。
※ ニューメキシコ大学出版局は1991年以降、『リトル・トリー』の表紙にあった「実話」("True Story")という部分を削除し、フィクションであるとのラベルを付けて出版するようになった…[wikipedia より]
● おわりに
ごく個人的にですが、アマゾンのレビューは☆2をつけている方のものが、作品の嘘/本物、一切の価値がない/感動できる価値ある一冊という両者いまいち論点がかみ合っていない不毛な争いと距離を置いたご意見で、好きです。
『リトル・トリー』の読者がアマゾンの読者レビューを舞台に揉めている様子を外側からふーん、と眺めながら愚かな者たちめ・・・ と超越者的上から目線で観察しつつ、自分の言いたいことを語らせていただきました。何様。
なお、WEBをあさってもこの作品について言ってる人がたくさんいらっしゃいます。
元「宝島」編集長の北山耕平さんがご自身のブログ『Native Heart』(http://native.way-nifty.com/native_heart/ )でも意見を書かれており、出版のプロの視点として参考にリンクを記載しておきます。
・ http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_1e0d.html
・ http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_da23.html
ここまで見てきたとおり、『リトル・トリー』は問題を抱えていながら人々を惹きつけ、評価について争いを巻き起こすほどに魅力的な一冊であることが、重々伺えました。読んでみたいけど出版社が癪だから金なんか払いたくねーや! と言う人は、ユーズドの購入あるいは図書館で借りることをお勧めします。
ここまで見てきたとおり、『リトル・トリー』は問題を抱えていながら人々を惹きつけ、評価について争いを巻き起こすほどに魅力的な一冊であることが、重々伺えました。読んでみたいけど出版社が癪だから金なんか払いたくねーや! と言う人は、ユーズドの購入あるいは図書館で借りることをお勧めします。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
また、一方的に参考にさせていただいたアマゾンのレビュー執筆者の方々、失礼しました!
(意見を参考にした部分は「」で示しています。)
・・・ ではでは、今回はこのへんでノシ
PR
この記事にコメントする
補足
(ともだちとチャットしながら、言わんとすることがまとまったのでその分を転載しといてみる。)
この話嘘だー? 何が嘘なんだー!
調べたー! フィクションなのかー!
フィクションって書いとけ馬鹿!!
感動できるいい作品なのにコンチクショー
出版社仕事しろー!!
と矛先が向かうのが正しい判断だと思う。
その判断をできなくする
私は素直でまっすぐなプリティな読者。
愛があれば作品の不正なんてキュアして見せる!
というなぞの独りよがりに導く思想を植え付けてきた読書教育なにやってきたのん・・・
※ プリキュアはなにも悪くありません。
*
友人より
「つーか喧嘩ってレビューじゃないぢゃん…」
・・・最もです。
この話嘘だー? 何が嘘なんだー!
調べたー! フィクションなのかー!
フィクションって書いとけ馬鹿!!
感動できるいい作品なのにコンチクショー
出版社仕事しろー!!
と矛先が向かうのが正しい判断だと思う。
その判断をできなくする
私は素直でまっすぐなプリティな読者。
愛があれば作品の不正なんてキュアして見せる!
というなぞの独りよがりに導く思想を植え付けてきた読書教育なにやってきたのん・・・
※ プリキュアはなにも悪くありません。
*
友人より
「つーか喧嘩ってレビューじゃないぢゃん…」
・・・最もです。