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千笑さまのブログに寄せたコメントで「詳しい話はここで書く」宣言をしてから、なかなか記事を纏め上げられずに、沈黙を守り続けていた保守的かつ引っ込み思案で要領の悪い私ですが、やっとこさ重い筆を持ち上げて、えいやっ!と半紙に書き付けた!!
「むり」
・・・いや、嘘です。書きました。書きましたとも。
そうじゃなきゃ、ここに記事はあげない。
事後報告になりますが、
千笑さまのブログの該当記事にトラックバックさせていただきま・・・(まだやってない)
そちらに飛んでいただければ私の<>やります詐欺</>コメントを読むことだ出来ます。なお、千笑さまはネタバレを考慮して記事にロックをかけております。が、私は堂々みせびらかしますので、以下壮大なネタバレがあるということをご了承のうえ読み進んでください。
「むり」
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* * *
今回のテーマは千笑さまが自身のブログで「VSまタロー」(コミック未収録)についてご指摘されていたことから着想を得ました。それを横から掻っ攫って記事を書きますので、まずはじめにごあいさついたします。横から失礼しました。
千笑さまは『わざぐぅ』の記事として語っておられましたが、ここでは『わざぐぅ』よりも『わざぼー』の話をメインにしたいと思うので、「VSまタロー」についての知識は一先ず必要ありません。『わざぼー』全巻がお手元にあれば話が通じるように書きます。
さてさて、本日のお題:
わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について
―― めんめん、むむ、みみみ の戦士としての資質
・・・なんて書くととっても真面目っぽいね!
『わざぼー』というのは「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」という武器でした。そのような武器を操るわざぼー使い・技々みみみを主人公とし、その戦いの記録を描いていく、という物語を予感させるコミック第1巻第1話冒頭(雑誌掲載時にはないコミック書き下ろしページですよ!)。
「 これから始まるお話は、/
1人の「人間」と・・・/一本の「ぼー」がくりひろげる戦いの物語である 」
コロイチ!創刊号の巻頭カラーページに添えられたコメントには
「わざぼーを舞台に/わざぼーをめぐって、/わざぼーが大かつやく・・・!?」
という具合で、わざぼーなくしては語れない、『わざぼー』とはそんな物語なわけです。
● “わざぼー”とは
物語の終盤、わざぼーは作品が定義する“悪”の権化ともいうべき存在・わざ武王の分身というのがその正体と明かされます。わざ武王とは「恐怖」と「絶望」と「悲しみ」をもたらすとっても嫌な奴です。「二度と裏切ることができないように」「服従」を要求してくる、支配欲の塊と言っても良いかもしれません。正体は闇であり、宇宙になることも出来る。宇宙(コスモス)といったら秩序のことですから、“俺様がルール”を擬人化にしたようなものでしょうか。
さて、その“俺様がルール”という支配的な存在の分身、すなわち、似たような性質を持つかもしれない武器というのが“わざぼー”なのです。そんなものを使ってて君たち危ないんじゃないのー?とわざぼー使いたちに問いかけてみようというのが今回のテーマ。
【わざぼーを使う】と言う事は、【わざぼーに使われる】という危険も内包しているのではないか?ということに注目し、<わざぼー使いたちの戦い方の実際を作品の中から拾い出す>という作業をします。まとまらなくなりそうなので、今回は“技神まー”については検討しないことにしております。(・・・決して、まーさまを仲間はずれにしようといういじわるでやっているのではない、とご理解ください。)
● わざぼーとわざぼー使い ――めんめん、むむの場合
作中登場するわざぼー使いたちの戦い方はそれぞれに個性的である事が語られます。最後に登場した“技星めんめん”についてはかなり駆け足でその性質が描かれたように思います。一方で、“技風むむ”は序盤から断続的に登場し、その活躍については長いスパンで見ていかなければならないので結構面倒くさいです。・・・なんていう愚痴はともかくとして、彼らには彼らの戦い方の特徴を描くことを目的とした話が用意されており、第6巻収録「めんめんの強さとわざぼー」「むむの気持ちとわざぼー」にまとめられているように思われます。この2話を中心に、彼らの戦い方についてみていきたいと思います。
・ めんめん
「目が見えない――だからこそ――敵の気配や空気の流れを/からだ全体で感じとり
――だれよりも速く動くコトができる」(―― は省略を表します。以下同。)
〔6巻「めんめんの強さとわざぼー」みみみの台詞より〕
・ むむ
「声が大きいオレの勝ちだぜぇーっ!!」〔2巻「技風むむと技々みみみ」むむの台詞より〕
「やっぱりアイツはすごい――敵のパンチをかわしながら――確実に攻撃をしかけている」
〔3巻「二人の力とわざぼー」みみみの台詞より〕
「パワーを一点に集中して―― 一気にぶち込む攻撃――それは――オレ自身」
〔6巻「むむの気持ちとわざぼー」むむの台詞より〕
彼らの戦い方の特徴を表す台詞を抜き出してみました。
さて、ここで思い返してほしいのが“わざぼーの能力”です。冒頭で確認したとおり、わざぼーとは「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」武器でした。しかし、技の発動には以下のような条件があります。
A 技の名前をわざぼーがきくことではじめて発動する〔6巻「ありがとな!わざぼー」〕
B 技を使いたい相手(自分も含む)にわざぼーの頭をあてる必要がある
〔1巻「技々みみみとわざぼー」〕
C 技の名前を言う声が大きいほど威力が増大する〔2巻「負けた理由とわざぼー」〕
めんめんは自身の“目が見えない”ことで発達した視覚以外の感覚によりスピードが向上しており、それがわざぼーを相手に当てるとき優位にはたらきます。一方むむは、自身の“声の大きさ”がわざぼーで発動する技の威力を増大させます。加えて、相手に技を仕掛けるための能力の高さも伺えます。両者ともわざぼーでの戦いを優位にする“自身の身体能力”を備えていることがわかります。また、むむについては最終的にわざぼーを使わずに“オレ自身”による攻撃で勝利をおさめます。
しかし、作中で説かれているわざぼー使いに最も必要なこととは“使用者の身体能力”が優れていることではない、ということがわざぼーによって説かれています。
「わざぼー使いに一番必要なモノは状況をひっくり返す発想力」〔2巻「技風むむと技々みみみ」〕
“自身の身体能力”の高さは戦いにおいて優位に立つことは出来るものの、状況は“わざぼーの能力”によりひっくり返す事が出来る。(1巻「空からの訪問者とわざぼー」、2巻「技風むむと技々みみみ」)ゆえに、“自身の身体能力”がわざぼー使いの戦い方においては勝敗を左右するものとはなりにくい、ということです。
それはひとまず置いて、逆転の発想として「わざぼー使いは“状況をひっくり返す発想力”を備えている」ということも出来るのではないでしょうか(結構無理矢理です;)。“自身の身体能力”によってわざぼーでの技の発動を優位にすることのできる、めんめん、むむはどうだったのか?彼らが“状況をひっくり返す発想力”を備えていたかどうかを踏まえつつ、以下に二人の戦闘スタイルをまとめたいと思います。
○ めんめん
“目がみえない”という逆境を強いられているが、これにより他の感覚が発達した。いわば「状況をひっくり返す」を身体能力によって体現している、といえそうです。自身の“状況をひっくり返”した身体能力を活かしてわざぼーの能力で戦う。
○ むむ
高いポテンシャルを備えている。その身体能力はめんめんのように「状況をひっくり返す」を象徴するものにはならない。めんめん同様、自身の身体能力を活用した戦闘スタイルであるが、最終的には自身が金に変えられようという危機に対して、金になった自分自身によって戦闘に勝利する(わざぼーではなく、自分自身によって「状況をひっくり返す」)。総じていえるのが、自分を押し出した戦闘スタイルである。また、わざぼーに頼らない戦闘スタイルに移行していっているようにも見受けられる。
・・・ということで、どうかするとむむはわざぼーが必要ないかもしれませんね!
● わざぼーとわざぼー使い ――みみみの場合
さて、忘れてはいけません。主人公“技々みみみ”の戦い方の特徴はどんなものだったか、確認したいと思います。もう一度、わざぼーの技の発動についての条件をおさらいしておきます。
A 技の名前をわざぼーがきくことではじめて発動する〔6巻「ありがとな!わざぼー」〕
B 技を使いたい相手(自分も含む)にわざぼーの頭をあてる必要がある
〔1巻「技々みみみとわざぼー」〕
C 技の名前を言う声が大きいほど威力が増大する〔2巻「負けた理由とわざぼー」〕
先に、めんめんとむむの戦い方を確認したときにも言及しましたが、B、Cについては使用者の身体能力に左右されることでした。みみみの身体能力を彼らと比較した場合、めんめんのほうがスピードが速いので技の早撃ちでは勝てなかった(5巻「まっくらな星とわざぼー」)し、むむのほうが声が大きいので技の威力勝負では勝つことができなかった(2巻「技風むむと技々みみみ」)。また、「やっぱりアイツはすごい――敵のパンチをかわしながら――確実に攻撃をしかけている――くやしいけど・・・/アイツは・・・/・・・強い・・・・・・!!」(3巻「二人の力とわざぼー」)とみみみ自身がむむよりも身体能力が劣ることを認めています。彼らと比較した場合、身体能力についてはみみみのほうが劣る部分があります。
また、マンジー(1巻「本物のじまんとわざぼー」)やワープル(2巻「仲間われしたわざぼー」)などの敵にも身体能力の点で劣っていることが確認でき、ワープルとの戦いの中ではわざぼーを手放したみみみの非力さが描かれていました。
このように、みみみの身体能力には突出した点はなく、他の敵よりも劣る場合もいくつか見受けられます(※1)。みみみが劣勢となった場合、その「状況をひっくり返す」ための戦略として、相手を欺いたり(1巻「本物のじまんとわざぼー」)、技の名前に強調する語を補ったり(2巻「技風むむと技々みみみ」)、「アイツのスピードが速すぎるんなら――そのスピードをおそくしちまえばいいんだ!」(5巻「まっくらな星とわざぼー」)というような作戦を講じます。みみみのそういった性質について、わざぼーは「ずるがしこい」(5巻「同前」)と評しています。
みみみもめんめんやむむ同様、自身の持つ能力(彼女の場合は「ずるがしこい」)によってわざぼーを相手に当てる工夫も行なう一方で、わざぼーの使い方として自身に技をかける(※2)というのが他のキャラクターに見られない特徴として挙げられます。自身に技をかける場合は、相手にぼーを当てる事が出来ないときの打開策であり、これはみみみ自身の発想力によって生み出されるものではあるけれど、“わざぼーの能力”「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」という性能に頼ったものであり、わざぼーがなければ不可能な“状況をひっくり返す発想”といえるでしょう。
わざぼーで戦うテクニックとして、相手に技を当てるということとわざぼーの能力を活かすということが勝利の決め手となっているといえそうで、いずれの場合にもみみみは自身の「ずるがしこさ」すなわち「状況をひっくり返す発想力」を用いている。しかし、それはわざぼーで戦うことを前提とした場合です。みみみはわざぼーがなければ、その「ずるがしこさ」を戦闘で発揮することはできないのだろうか。わざぼーを用いずに勝利することはできないのだろうか。
これについては、暗黒ま城内部でのみみみ単独での戦闘によって明らかにされる。(5巻「トイレのおばちゃんとわざぼー」「ジミな正体とわざぼー」)この2話ではわざぼーの能力がみみみの勝利の決め手とはならず、みみみの発想力によって相手を破るのである。また、同巻「3人のチカラとわざぼー」では、追い詰められたみみみは“状況をひっくり返す発想”を思いつくことができず、技を当てることも“技の名前”を叫ぶこともできなかった。みみみの状況をひっくりかえしたのは駆けつけたむむとめんめんでした。
このように、みみみの「ずるがしこさ」による戦闘スタイルが、作品の終盤でわざぼーによって発揮されず、みみみ自身によって、あるいは、他のわざぼー使いの協力によって発揮されました。わざぼーによってではなく自身によって、みみみ自身ではなく仲間によって<状況をひっくり返す>、と言う具合に、みみみ自身の能力の主張と仲間の出現によってわざぼーとの分離が描かれていったように思われます。これは、みみみが自身の能力に頼ってわざぼーで戦うことが、みみみを自身の能力に引きこもらせることをも意味するのではないでしょうか。
「つ・・・、強い・・・。・・・てか・・・・・・アタシが弱いのか・・・。/やっぱり・・・、アタシ1人じゃ・・・、なんにもできないのか・・・・・・!?」(みみみの台詞)
「オレは・・・、オマエ以外の人間には・・・。/使うことができないんだ!!/オマエがいないと・・・、オレは戦えない・・・!!/1人じゃなにもできないのは・・・/オレのほうなんだよ!!」(わざぼーの台詞)
「・・・2人なら・・・/なにかができるってことだろう!?」(わざぼーの台詞)
〔2巻「仲間われしたわざぼー」〕
わざぼーは自身の相棒となる人間によってその能力を発揮する事が出来るのだから、わざぼーが人間を失うことは、自身の能力の死をも意味するように思われます。果たして、わざぼーにみみみを手放したくないという欲求はなかったのだろうか。ひとまず、ここでは一つの論点として提示するにとどめ、みみみの戦闘スタイルについてまとめたいと思います。
○ みみみ
身体能力は優れていないが、自身の「ずるがしこい」という性質が<状況をひっくり返す発想力>となって発揮されている。わざぼーを用いる場合だけでなく、自身によってもその力で戦うことは出来る。物語の終盤ではわざぼーとみみみの関係だけで成立する自閉的な戦闘スタイルから、仲間の協力によって成り立つ戦闘スタイルが描かれる。
※1 身体能力における劣勢がみみみの“女”という性別に起因するものとしてみることもできるかもしれません。が、今回はそれについては検討しません。
※2 人間ロケット閃光弾(1巻「空からの訪問者とわざぼー」)
大回転トルネード(4巻「必死な気持ちとわざぼー」)
めんめんに使った幻覚技(5巻「まっくらな星とわざぼー」) など
● わざぼーとわざぼー使い ―― まーさまと今後の課題〔まとめ〕
みみみは自身の「ずるがしこさ」を、むむは自身のポテンシャルの高さを、めんめんは自身の“目が見えない”という逆境を、わざぼーで戦うことに活かしています。それぞれが自身の個性をわざぼーを用いることで発揮している、ということが確認できました。わざぼーとの協力関係が描かれる一方で、物語の終盤ではわざぼー使い個人の戦いではなく仲間の協力が<状況をひっくり返す>ことや、みみみとむむがわざぼーを用いずに自身の能力を戦闘に活かす姿が描かれたこと、また、作中から読み取れるわざぼーが使用者を他者から孤立させることへの懸念から、この物語の最終的な目的がわざぼーからの自立と、他者との開かれた交流を描くことだったのではないかと仮定することもできるように思われました。
みみみもむむもめんめんも自身が持つ能力によって戦ってきました。さて、今回検討を保留にするといった“技神まー”についてですが、彼の戦いに臨む態度はみみみに以下のように評されます。
「だれかのチカラをかりてイチバンになる/そんな情けない気持ちのヤツ/アタシはこわくない!!/そう思ったら、とたんにオマエが弱く思えた。」〔6巻「みみみとまーとわざぼー」〕
この話の冒頭で「このオレ様の実力――たっぷりと教えてやろう!!」などと言ってるので、わびしさ倍増です。まーは誰よりも優れたイチバンになる力を得るため、他のわざぼー使いが持つ“玉”を求めていました。
「『道具(なかま)』のところさ」(「」を『』に、ルビを()で表記しています。以下同)〔3巻「技神まーと・・・・・・」〕
同じわざぼー使いであり、自身が求めている道具を持っている、ということから彼は他のわざぼー使いたちのことを“道具(なかま)”と呼んでいる。他者人格を認めない態度を表す非人道的な発言と受け取れる一方で、“なかま”という言葉には他のわざぼー使いと自分の共通点への意識も感じられます。この表現から、まーの冷酷非道さというよりは、彼の欲求を満たしうる他者への期待や願望のようなものも含まれているとは読めないでしょうか。
「・・・アタシがもっと強くなれば・・・、・・・もう・・・、だれも消えずにすむかな・・・?」(みみみの台詞)〔4巻「やってきたライバルとわざぼー」〕
「・・・まあ・・・/アイツらしいっちゃアイツらしいけどな・・・。――ひとりで戦いたいなんてよ」(むむの台詞)
「ひとりで戦いたいなんて――調子こいてんじゃねーぞ!!」(まーの台詞)
〔6巻「同前」〕
みみみはひとりで戦おうとします。だれかのチカラをかりて自身の目標を達成しようとすることは「情けない」と思っています。わざぼーとの協力関係の中で自身の戦いを完結させることを望んでいる。けれども、みみみは彼女が自身の力で“ひっくりかえすことのできない状況”に直面することもあり、その都度仲間たちが打開してくれたのであるが、みみみは自身がその危機に直面するまで仲間に頼ろうとはしませんでした。
結果的に、むむとめんめんを失うという悲劇に見舞われます。
「オマエのその手は――オマエの相棒をにぎるために――『わざぼー』をにぎって戦うためにあるんだ」〔4巻「同前」〕
「オレたちの大切な相棒――をオマエにたくす――忘れるな――オレたちはいつだって・・・/コイツらと戦ってきたコトを・・・!!」〔6巻「同前」〕
いずれもむむの台詞ですが、彼は自身がみみみを救うために動いているのだけれど、けして自分がみみみの危機を救おうとしたことを前面には出さず、わざぼーの存在がみみみを救うということを言っています。しかし、むむはみみみの手首を握りながら「オマエの相棒をにぎるために」「『わざぼー』をにぎって戦うために」と「オマエの相棒」と「わざぼー」を分けて言う。手が握るものが相棒であると定義するとともに、むむはみみみを握っているのです。又、「オマエの相棒」と「わざぼー」を分けて言うことで、“相棒”に該当するものを“わざぼー”のほかに求める可能性も含有しているように思えます。また、「忘れるな――オレたちはいつだって・・・/コイツらと戦ってきたコトを・・・!!」と、「コイツら」と戦ってきた「オレたち」というわざぼーの背後にある使用者の存在を強調するような台詞回しもしている。
これはむむがみみみへ自身の存在のアピールする意図があったと読み取りたいところで、ひいては、わざぼーの使用者という存在がみみみの仲間であるという主張とも思われます。
【わざぼーを使う】と言う事は、【わざぼーに使われる】という危険も内包しているのではないか?冒頭で発した疑問でしたが、【わざぼーに使われる】とはどういうことか、以上の中で断片的に語ってきたことを以下にまとめ、技神まーとわざぼーの関係や『わざぐぅ』の話の展開に言及することへの抱負を述べて、今回の話題「わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について―― めんめん、むむ、みみみ の戦士としての資質」を終えたいと思います。
○ 【わざぼーに使われる】とはどういうことか
わざぼーは自身の相棒となる人間によってその能力を発揮する事が出来る。ゆえに、わざぼーは使用者を手放したくないという欲求があるのではないか。また、わざぼーと使用者の密接な協力関係は使用者を自身の能力に引きこもらせ、他者を見失う危険も孕んでいるように思われる。わざぼーはその能力によって使用者の個性的な活躍を補助し、自身との関係を密にして、わざぼー以外の他者への興味を失わせ、わざぼーと使用者が相互不可欠の状態にすることで使用者の行動力を奪うのではないか。
“技神まー”とはそのような状態に陥っている人物ではないでしょうか?わざぼーとの密接な関係により、自身とぼーが一体化している。一体化することで自身の能力とわざぼーの能力の見分けが付かなくなっているような状態にも思われます。
むむが幼い頃にわざぼーを手に入れてその能力に魅了され、悪に手を染めた過去が描かれていた(3巻「悪夢の記憶とわざぼー」)ことも、【わざぼーに使われる】ことについて言っているようにも思われます。
また、『わざぐぅ』においてはももタローが“わざぐぅ”を得るところから書かれていることや、わざぐぅが“抜けない”ということも注目したいところではないでしょうか?(ももタローがわざぼーを得たときのむむのような、幼い子どもだということもポイントですね!)
これらについての詳しい検討は次回の課題として、以上を持って論を終了したいとおもいます。
● おわりに
みみみは人間の存在も決して忘れてはいないんですよね。「ありがとな!」を言う。これが、全体を通して、“むむ”と“わざぼー”だったというのは重要なポイントのようにも思えます。こうして論を書き付けていくことの最終目標としては“『わざぼー』がむむみみのラブコメとして描かれていた”と論立したいと思っているのですが・・・傍から見てると、どうしてその話をするためにこんなことを検討しなきゃいけないんだ!という疑問を持たれるかもしれません。が、必要なことなんです。大事なことなのでもう一度言います。必要なことなんです。
・・・なんだか、情報処理にパンク気味で後半グデグデで読んでくださっている方には申し訳ない限りです;修正加えてHTMLに移動する予定でいます。そのときまではグデグデのまま放置したいと思います;
それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。
今回のテーマは千笑さまが自身のブログで「VSまタロー」(コミック未収録)についてご指摘されていたことから着想を得ました。それを横から掻っ攫って記事を書きますので、まずはじめにごあいさついたします。横から失礼しました。
千笑さまは『わざぐぅ』の記事として語っておられましたが、ここでは『わざぐぅ』よりも『わざぼー』の話をメインにしたいと思うので、「VSまタロー」についての知識は一先ず必要ありません。『わざぼー』全巻がお手元にあれば話が通じるように書きます。
さてさて、本日のお題:
わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について
―― めんめん、むむ、みみみ の戦士としての資質
・・・なんて書くととっても真面目っぽいね!
『わざぼー』というのは「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」という武器でした。そのような武器を操るわざぼー使い・技々みみみを主人公とし、その戦いの記録を描いていく、という物語を予感させるコミック第1巻第1話冒頭(雑誌掲載時にはないコミック書き下ろしページですよ!)。
「 これから始まるお話は、/
1人の「人間」と・・・/一本の「ぼー」がくりひろげる戦いの物語である 」
コロイチ!創刊号の巻頭カラーページに添えられたコメントには
「わざぼーを舞台に/わざぼーをめぐって、/わざぼーが大かつやく・・・!?」
という具合で、わざぼーなくしては語れない、『わざぼー』とはそんな物語なわけです。
● “わざぼー”とは
物語の終盤、わざぼーは作品が定義する“悪”の権化ともいうべき存在・わざ武王の分身というのがその正体と明かされます。わざ武王とは「恐怖」と「絶望」と「悲しみ」をもたらすとっても嫌な奴です。「二度と裏切ることができないように」「服従」を要求してくる、支配欲の塊と言っても良いかもしれません。正体は闇であり、宇宙になることも出来る。宇宙(コスモス)といったら秩序のことですから、“俺様がルール”を擬人化にしたようなものでしょうか。
さて、その“俺様がルール”という支配的な存在の分身、すなわち、似たような性質を持つかもしれない武器というのが“わざぼー”なのです。そんなものを使ってて君たち危ないんじゃないのー?とわざぼー使いたちに問いかけてみようというのが今回のテーマ。
【わざぼーを使う】と言う事は、【わざぼーに使われる】という危険も内包しているのではないか?ということに注目し、<わざぼー使いたちの戦い方の実際を作品の中から拾い出す>という作業をします。まとまらなくなりそうなので、今回は“技神まー”については検討しないことにしております。(・・・決して、まーさまを仲間はずれにしようといういじわるでやっているのではない、とご理解ください。)
● わざぼーとわざぼー使い ――めんめん、むむの場合
作中登場するわざぼー使いたちの戦い方はそれぞれに個性的である事が語られます。最後に登場した“技星めんめん”についてはかなり駆け足でその性質が描かれたように思います。一方で、“技風むむ”は序盤から断続的に登場し、その活躍については長いスパンで見ていかなければならないので結構面倒くさいです。・・・なんていう愚痴はともかくとして、彼らには彼らの戦い方の特徴を描くことを目的とした話が用意されており、第6巻収録「めんめんの強さとわざぼー」「むむの気持ちとわざぼー」にまとめられているように思われます。この2話を中心に、彼らの戦い方についてみていきたいと思います。
・ めんめん
「目が見えない――だからこそ――敵の気配や空気の流れを/からだ全体で感じとり
――だれよりも速く動くコトができる」(―― は省略を表します。以下同。)
〔6巻「めんめんの強さとわざぼー」みみみの台詞より〕
・ むむ
「声が大きいオレの勝ちだぜぇーっ!!」〔2巻「技風むむと技々みみみ」むむの台詞より〕
「やっぱりアイツはすごい――敵のパンチをかわしながら――確実に攻撃をしかけている」
〔3巻「二人の力とわざぼー」みみみの台詞より〕
「パワーを一点に集中して―― 一気にぶち込む攻撃――それは――オレ自身」
〔6巻「むむの気持ちとわざぼー」むむの台詞より〕
彼らの戦い方の特徴を表す台詞を抜き出してみました。
さて、ここで思い返してほしいのが“わざぼーの能力”です。冒頭で確認したとおり、わざぼーとは「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」武器でした。しかし、技の発動には以下のような条件があります。
A 技の名前をわざぼーがきくことではじめて発動する〔6巻「ありがとな!わざぼー」〕
B 技を使いたい相手(自分も含む)にわざぼーの頭をあてる必要がある
〔1巻「技々みみみとわざぼー」〕
C 技の名前を言う声が大きいほど威力が増大する〔2巻「負けた理由とわざぼー」〕
めんめんは自身の“目が見えない”ことで発達した視覚以外の感覚によりスピードが向上しており、それがわざぼーを相手に当てるとき優位にはたらきます。一方むむは、自身の“声の大きさ”がわざぼーで発動する技の威力を増大させます。加えて、相手に技を仕掛けるための能力の高さも伺えます。両者ともわざぼーでの戦いを優位にする“自身の身体能力”を備えていることがわかります。また、むむについては最終的にわざぼーを使わずに“オレ自身”による攻撃で勝利をおさめます。
しかし、作中で説かれているわざぼー使いに最も必要なこととは“使用者の身体能力”が優れていることではない、ということがわざぼーによって説かれています。
「わざぼー使いに一番必要なモノは状況をひっくり返す発想力」〔2巻「技風むむと技々みみみ」〕
“自身の身体能力”の高さは戦いにおいて優位に立つことは出来るものの、状況は“わざぼーの能力”によりひっくり返す事が出来る。(1巻「空からの訪問者とわざぼー」、2巻「技風むむと技々みみみ」)ゆえに、“自身の身体能力”がわざぼー使いの戦い方においては勝敗を左右するものとはなりにくい、ということです。
それはひとまず置いて、逆転の発想として「わざぼー使いは“状況をひっくり返す発想力”を備えている」ということも出来るのではないでしょうか(結構無理矢理です;)。“自身の身体能力”によってわざぼーでの技の発動を優位にすることのできる、めんめん、むむはどうだったのか?彼らが“状況をひっくり返す発想力”を備えていたかどうかを踏まえつつ、以下に二人の戦闘スタイルをまとめたいと思います。
○ めんめん
“目がみえない”という逆境を強いられているが、これにより他の感覚が発達した。いわば「状況をひっくり返す」を身体能力によって体現している、といえそうです。自身の“状況をひっくり返”した身体能力を活かしてわざぼーの能力で戦う。
○ むむ
高いポテンシャルを備えている。その身体能力はめんめんのように「状況をひっくり返す」を象徴するものにはならない。めんめん同様、自身の身体能力を活用した戦闘スタイルであるが、最終的には自身が金に変えられようという危機に対して、金になった自分自身によって戦闘に勝利する(わざぼーではなく、自分自身によって「状況をひっくり返す」)。総じていえるのが、自分を押し出した戦闘スタイルである。また、わざぼーに頼らない戦闘スタイルに移行していっているようにも見受けられる。
・・・ということで、どうかするとむむはわざぼーが必要ないかもしれませんね!
● わざぼーとわざぼー使い ――みみみの場合
さて、忘れてはいけません。主人公“技々みみみ”の戦い方の特徴はどんなものだったか、確認したいと思います。もう一度、わざぼーの技の発動についての条件をおさらいしておきます。
A 技の名前をわざぼーがきくことではじめて発動する〔6巻「ありがとな!わざぼー」〕
B 技を使いたい相手(自分も含む)にわざぼーの頭をあてる必要がある
〔1巻「技々みみみとわざぼー」〕
C 技の名前を言う声が大きいほど威力が増大する〔2巻「負けた理由とわざぼー」〕
先に、めんめんとむむの戦い方を確認したときにも言及しましたが、B、Cについては使用者の身体能力に左右されることでした。みみみの身体能力を彼らと比較した場合、めんめんのほうがスピードが速いので技の早撃ちでは勝てなかった(5巻「まっくらな星とわざぼー」)し、むむのほうが声が大きいので技の威力勝負では勝つことができなかった(2巻「技風むむと技々みみみ」)。また、「やっぱりアイツはすごい――敵のパンチをかわしながら――確実に攻撃をしかけている――くやしいけど・・・/アイツは・・・/・・・強い・・・・・・!!」(3巻「二人の力とわざぼー」)とみみみ自身がむむよりも身体能力が劣ることを認めています。彼らと比較した場合、身体能力についてはみみみのほうが劣る部分があります。
また、マンジー(1巻「本物のじまんとわざぼー」)やワープル(2巻「仲間われしたわざぼー」)などの敵にも身体能力の点で劣っていることが確認でき、ワープルとの戦いの中ではわざぼーを手放したみみみの非力さが描かれていました。
このように、みみみの身体能力には突出した点はなく、他の敵よりも劣る場合もいくつか見受けられます(※1)。みみみが劣勢となった場合、その「状況をひっくり返す」ための戦略として、相手を欺いたり(1巻「本物のじまんとわざぼー」)、技の名前に強調する語を補ったり(2巻「技風むむと技々みみみ」)、「アイツのスピードが速すぎるんなら――そのスピードをおそくしちまえばいいんだ!」(5巻「まっくらな星とわざぼー」)というような作戦を講じます。みみみのそういった性質について、わざぼーは「ずるがしこい」(5巻「同前」)と評しています。
みみみもめんめんやむむ同様、自身の持つ能力(彼女の場合は「ずるがしこい」)によってわざぼーを相手に当てる工夫も行なう一方で、わざぼーの使い方として自身に技をかける(※2)というのが他のキャラクターに見られない特徴として挙げられます。自身に技をかける場合は、相手にぼーを当てる事が出来ないときの打開策であり、これはみみみ自身の発想力によって生み出されるものではあるけれど、“わざぼーの能力”「技の名前をテキトーに言うと本当にその技が出る」という性能に頼ったものであり、わざぼーがなければ不可能な“状況をひっくり返す発想”といえるでしょう。
わざぼーで戦うテクニックとして、相手に技を当てるということとわざぼーの能力を活かすということが勝利の決め手となっているといえそうで、いずれの場合にもみみみは自身の「ずるがしこさ」すなわち「状況をひっくり返す発想力」を用いている。しかし、それはわざぼーで戦うことを前提とした場合です。みみみはわざぼーがなければ、その「ずるがしこさ」を戦闘で発揮することはできないのだろうか。わざぼーを用いずに勝利することはできないのだろうか。
これについては、暗黒ま城内部でのみみみ単独での戦闘によって明らかにされる。(5巻「トイレのおばちゃんとわざぼー」「ジミな正体とわざぼー」)この2話ではわざぼーの能力がみみみの勝利の決め手とはならず、みみみの発想力によって相手を破るのである。また、同巻「3人のチカラとわざぼー」では、追い詰められたみみみは“状況をひっくり返す発想”を思いつくことができず、技を当てることも“技の名前”を叫ぶこともできなかった。みみみの状況をひっくりかえしたのは駆けつけたむむとめんめんでした。
このように、みみみの「ずるがしこさ」による戦闘スタイルが、作品の終盤でわざぼーによって発揮されず、みみみ自身によって、あるいは、他のわざぼー使いの協力によって発揮されました。わざぼーによってではなく自身によって、みみみ自身ではなく仲間によって<状況をひっくり返す>、と言う具合に、みみみ自身の能力の主張と仲間の出現によってわざぼーとの分離が描かれていったように思われます。これは、みみみが自身の能力に頼ってわざぼーで戦うことが、みみみを自身の能力に引きこもらせることをも意味するのではないでしょうか。
「つ・・・、強い・・・。・・・てか・・・・・・アタシが弱いのか・・・。/やっぱり・・・、アタシ1人じゃ・・・、なんにもできないのか・・・・・・!?」(みみみの台詞)
「オレは・・・、オマエ以外の人間には・・・。/使うことができないんだ!!/オマエがいないと・・・、オレは戦えない・・・!!/1人じゃなにもできないのは・・・/オレのほうなんだよ!!」(わざぼーの台詞)
「・・・2人なら・・・/なにかができるってことだろう!?」(わざぼーの台詞)
〔2巻「仲間われしたわざぼー」〕
わざぼーは自身の相棒となる人間によってその能力を発揮する事が出来るのだから、わざぼーが人間を失うことは、自身の能力の死をも意味するように思われます。果たして、わざぼーにみみみを手放したくないという欲求はなかったのだろうか。ひとまず、ここでは一つの論点として提示するにとどめ、みみみの戦闘スタイルについてまとめたいと思います。
○ みみみ
身体能力は優れていないが、自身の「ずるがしこい」という性質が<状況をひっくり返す発想力>となって発揮されている。わざぼーを用いる場合だけでなく、自身によってもその力で戦うことは出来る。物語の終盤ではわざぼーとみみみの関係だけで成立する自閉的な戦闘スタイルから、仲間の協力によって成り立つ戦闘スタイルが描かれる。
※1 身体能力における劣勢がみみみの“女”という性別に起因するものとしてみることもできるかもしれません。が、今回はそれについては検討しません。
※2 人間ロケット閃光弾(1巻「空からの訪問者とわざぼー」)
大回転トルネード(4巻「必死な気持ちとわざぼー」)
めんめんに使った幻覚技(5巻「まっくらな星とわざぼー」) など
● わざぼーとわざぼー使い ―― まーさまと今後の課題〔まとめ〕
みみみは自身の「ずるがしこさ」を、むむは自身のポテンシャルの高さを、めんめんは自身の“目が見えない”という逆境を、わざぼーで戦うことに活かしています。それぞれが自身の個性をわざぼーを用いることで発揮している、ということが確認できました。わざぼーとの協力関係が描かれる一方で、物語の終盤ではわざぼー使い個人の戦いではなく仲間の協力が<状況をひっくり返す>ことや、みみみとむむがわざぼーを用いずに自身の能力を戦闘に活かす姿が描かれたこと、また、作中から読み取れるわざぼーが使用者を他者から孤立させることへの懸念から、この物語の最終的な目的がわざぼーからの自立と、他者との開かれた交流を描くことだったのではないかと仮定することもできるように思われました。
みみみもむむもめんめんも自身が持つ能力によって戦ってきました。さて、今回検討を保留にするといった“技神まー”についてですが、彼の戦いに臨む態度はみみみに以下のように評されます。
「だれかのチカラをかりてイチバンになる/そんな情けない気持ちのヤツ/アタシはこわくない!!/そう思ったら、とたんにオマエが弱く思えた。」〔6巻「みみみとまーとわざぼー」〕
この話の冒頭で「このオレ様の実力――たっぷりと教えてやろう!!」などと言ってるので、わびしさ倍増です。まーは誰よりも優れたイチバンになる力を得るため、他のわざぼー使いが持つ“玉”を求めていました。
「『道具(なかま)』のところさ」(「」を『』に、ルビを()で表記しています。以下同)〔3巻「技神まーと・・・・・・」〕
同じわざぼー使いであり、自身が求めている道具を持っている、ということから彼は他のわざぼー使いたちのことを“道具(なかま)”と呼んでいる。他者人格を認めない態度を表す非人道的な発言と受け取れる一方で、“なかま”という言葉には他のわざぼー使いと自分の共通点への意識も感じられます。この表現から、まーの冷酷非道さというよりは、彼の欲求を満たしうる他者への期待や願望のようなものも含まれているとは読めないでしょうか。
「・・・アタシがもっと強くなれば・・・、・・・もう・・・、だれも消えずにすむかな・・・?」(みみみの台詞)〔4巻「やってきたライバルとわざぼー」〕
「・・・まあ・・・/アイツらしいっちゃアイツらしいけどな・・・。――ひとりで戦いたいなんてよ」(むむの台詞)
「ひとりで戦いたいなんて――調子こいてんじゃねーぞ!!」(まーの台詞)
〔6巻「同前」〕
みみみはひとりで戦おうとします。だれかのチカラをかりて自身の目標を達成しようとすることは「情けない」と思っています。わざぼーとの協力関係の中で自身の戦いを完結させることを望んでいる。けれども、みみみは彼女が自身の力で“ひっくりかえすことのできない状況”に直面することもあり、その都度仲間たちが打開してくれたのであるが、みみみは自身がその危機に直面するまで仲間に頼ろうとはしませんでした。
結果的に、むむとめんめんを失うという悲劇に見舞われます。
「オマエのその手は――オマエの相棒をにぎるために――『わざぼー』をにぎって戦うためにあるんだ」〔4巻「同前」〕
「オレたちの大切な相棒――をオマエにたくす――忘れるな――オレたちはいつだって・・・/コイツらと戦ってきたコトを・・・!!」〔6巻「同前」〕
いずれもむむの台詞ですが、彼は自身がみみみを救うために動いているのだけれど、けして自分がみみみの危機を救おうとしたことを前面には出さず、わざぼーの存在がみみみを救うということを言っています。しかし、むむはみみみの手首を握りながら「オマエの相棒をにぎるために」「『わざぼー』をにぎって戦うために」と「オマエの相棒」と「わざぼー」を分けて言う。手が握るものが相棒であると定義するとともに、むむはみみみを握っているのです。又、「オマエの相棒」と「わざぼー」を分けて言うことで、“相棒”に該当するものを“わざぼー”のほかに求める可能性も含有しているように思えます。また、「忘れるな――オレたちはいつだって・・・/コイツらと戦ってきたコトを・・・!!」と、「コイツら」と戦ってきた「オレたち」というわざぼーの背後にある使用者の存在を強調するような台詞回しもしている。
これはむむがみみみへ自身の存在のアピールする意図があったと読み取りたいところで、ひいては、わざぼーの使用者という存在がみみみの仲間であるという主張とも思われます。
【わざぼーを使う】と言う事は、【わざぼーに使われる】という危険も内包しているのではないか?冒頭で発した疑問でしたが、【わざぼーに使われる】とはどういうことか、以上の中で断片的に語ってきたことを以下にまとめ、技神まーとわざぼーの関係や『わざぐぅ』の話の展開に言及することへの抱負を述べて、今回の話題「わざぼー使いの戦い方とわざぼーの影響について―― めんめん、むむ、みみみ の戦士としての資質」を終えたいと思います。
○ 【わざぼーに使われる】とはどういうことか
わざぼーは自身の相棒となる人間によってその能力を発揮する事が出来る。ゆえに、わざぼーは使用者を手放したくないという欲求があるのではないか。また、わざぼーと使用者の密接な協力関係は使用者を自身の能力に引きこもらせ、他者を見失う危険も孕んでいるように思われる。わざぼーはその能力によって使用者の個性的な活躍を補助し、自身との関係を密にして、わざぼー以外の他者への興味を失わせ、わざぼーと使用者が相互不可欠の状態にすることで使用者の行動力を奪うのではないか。
“技神まー”とはそのような状態に陥っている人物ではないでしょうか?わざぼーとの密接な関係により、自身とぼーが一体化している。一体化することで自身の能力とわざぼーの能力の見分けが付かなくなっているような状態にも思われます。
むむが幼い頃にわざぼーを手に入れてその能力に魅了され、悪に手を染めた過去が描かれていた(3巻「悪夢の記憶とわざぼー」)ことも、【わざぼーに使われる】ことについて言っているようにも思われます。
また、『わざぐぅ』においてはももタローが“わざぐぅ”を得るところから書かれていることや、わざぐぅが“抜けない”ということも注目したいところではないでしょうか?(ももタローがわざぼーを得たときのむむのような、幼い子どもだということもポイントですね!)
これらについての詳しい検討は次回の課題として、以上を持って論を終了したいとおもいます。
● おわりに
みみみは人間の存在も決して忘れてはいないんですよね。「ありがとな!」を言う。これが、全体を通して、“むむ”と“わざぼー”だったというのは重要なポイントのようにも思えます。こうして論を書き付けていくことの最終目標としては“『わざぼー』がむむみみのラブコメとして描かれていた”と論立したいと思っているのですが・・・傍から見てると、どうしてその話をするためにこんなことを検討しなきゃいけないんだ!という疑問を持たれるかもしれません。が、必要なことなんです。大事なことなのでもう一度言います。必要なことなんです。
・・・なんだか、情報処理にパンク気味で後半グデグデで読んでくださっている方には申し訳ない限りです;修正加えてHTMLに移動する予定でいます。そのときまではグデグデのまま放置したいと思います;
それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。
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