深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
おまたせしました。
毎月読みに来てくださっている方、ほんとうにもうしわけありませんでしたm(_ _)m
Nコンを聴く程度に合唱曲が好きです。工藤直子の『のはらうた』 は有名ですが、よく知らない。
おおわしひろし君がこんな詩を書いてたなんて曲を聴かなきゃ一生知らなかった。
毎月読みに来てくださっている方、ほんとうにもうしわけありませんでしたm(_ _)m
さんぽしていた わたぐもが
ぼくをみていった
ああ きみは まるで
「ひかる ひとりぼっち」だ
(工藤直子 「いまの「いま」」 『のはらうた』より)
Nコンを聴く程度に合唱曲が好きです。工藤直子の『のはらうた』 は有名ですが、よく知らない。
おおわしひろし君がこんな詩を書いてたなんて曲を聴かなきゃ一生知らなかった。
ね、おひさま いまぼくは/ あなたとおなじ きもちですスケールのデカイ奴だ、ひろし! ところで、<いまの「いま」> というフレーズに聞き覚えはないか? 同作者の詩集『てつがくのライオン』 に収録されている「はじまり」 にも登場する。
光が駆け抜けた!つぶやきにそれとなくアンニュイを醸し出すこの詩から不吉な想像が浮かぶ。何故、わたしは地平なんて見ていたのだろう。ずいぶん高い所にいるらしい。・・・・ 大丈夫かな?
風が追い抜いた!
・・・・・・
空はいま
いまのいま 突き抜けた!
* * *
わざ武王には手も足もない
―― そうだ! 口があった!!
不覚でした。
私は『わざぼー』 においてトラウマになっている話がいくつかある。なかでも、最終話「ありがとな! わざぼー!!」 のまーの敗れ方は思い出すのも恐ろしい状況で泣くほど怖かった。
わざ武王も含む<わざぼー> という武器は技を出したい相手にぼーの頭を当てて、ぼーが持ち主の叫んだ技の名前を聴くことで発動する。それは持ち主のイメージをわざぼーが翻訳して伝えてくれるもののようでもある。絶対に言葉を聴いて理解してくれる(そして、伝達してくれる) 存在だというのなら、わたしも欲しい・・・・! 信頼できるし、安心だよね!
一方で、わざぼー自身も声を発してしゃべる事が出来る。みみみは、わざぼーの“声” を戦いのアイデアに用いて彼らの大声でまーの声をかき消した。指導者により団結した大勢の前にひとりの声は心もとない。先にみみみにやり方を否定されたばかりなのに、打ち消され続けるまーさま可哀想。
この心細い局面で、さらに、わざ武王が勝手に叫びはじめるなんて! それも、みみみのアイデアを真似て! 聴く役目を忘れて声を発しちゃダメじゃないか! 戦ってる相手の言うことを聴いちゃダメじゃないか! どうして、ここでまーの声を聞こうとしないんだ!! ・・・・ まったく、わざ武王にはガッカリだ。
ねえ、まーさま。
わざ武王には口があるんだよ。
*
『わざぼー』 の頃、まーは手下を引きつれこき使い「道具(ルビ: なかま)」 と言った。身勝手の塊のようだった。これは―― そう、必要な技能をもつ知り合いを自分の都合で呼び出して質の高い仕事をしてもらうような交流関係を“持つべきものは友だち” と呼ぶにも似る。―― ああ、きみは、まるできみは<ひかるひとりぼっち> だ。
そうなんだ!
まーに限らず、この作品の登場人物はみんなひとりぼっちだ。おなじ事柄に取り組んでいても、それに携わる目的は重ならない。「まーを倒す」 ためにめんめんの呼びかけで団結したみみみ、むむ、めんめんもそれぞれにまーに立ち向かう想いは違ったように。わざ武王を復活させるにしても、めんめんとまーじゃ正反対の方向を向いていたように。まーも言っていただろう「オレのため」 と。誰もが自分のため。取り組みを表す言葉は同じ響きを持ちながら、決してその意味は共有されなかった。
『わざぐぅ!』 でまーのひとりぼっちっぷりはことさら強調される。一方的につぶやきつづけていたまタロー、「ライバル打」 でももタローに召喚された他の挑戦者たちに押しつぶされるように追い出されてしまったバトルクリフ決勝戦のまー。これは『わざぼー』 での振る舞いと敗北を繰り返しているとも言える。
まーは一方通行なのだ。戦いの崖に「世界を滅ぼしてしまうようなヒミツ」 があると知ったところで、それぞれに意義を見出し挑戦している者たちにはどうでもいいことである。それでも、一方通行に発した言葉によって誰かと考えを共有できたようなつもりになっている。「命令」 によって「だれかのチカラを借り」 たつもりになっていたように。
「使う」 とは、その一方通行な意思伝達を象徴的に表した言葉であり、それが「道具(ルビ: なかま)」 という言葉になっている。だとしても、伝え続ける姿には心動かされてしまうんだけど・・・・
ね、まーさま (以下略)
*
でも、しかし だが しかし
ついに、ついに、わざ武王が完全復活!!
「・・・長かった・・・。/おそろしく長かった・・・・。」
わざ武王の実感のこもったコメントです。連載初期から読んでいる読者も待ちくたびれていたところでしょう。わざ武王の気持ちは痛いほど分かるよ! ん? ちょっ、まて! なんだそれは! これまで僕たち私たちが見守ってきたキャラクターたちの活躍が、まるで些細なことだったみたいに! どうでもいいというのか。
グォ~~~~~~~~~~~ッ!!
気がついただろうか。私たちにもとてもビックリするようなことが起こった。なんと、その瞬間、まさに作中のキャラクターと読者とが一つの同じ事柄を共有した。いままでずーっと眺めているだけだったのに・・・・ !!
「きっとヒトはみな、自分の中に『言い表せないナニカ』 を抱いているんじゃなかろうか。絵や音楽、詩などに出会ってナニカが動いたとき『共感』が生まれるんじゃなかろうか。」 と詩人・工藤直子がコメントしてるというのは「はじまり」「工藤直子」 でググれば出てくるハズ。曲集『光と風を連れて』 の楽譜に掲載されてるようです。
私の中の「ナニカ」 はいつでも言い表せない。まーに寄せたわたしの「ナニカ」 なんて私以外の誰にとってもどうでもいいことだろう。「ひとりぼっちは さびしいが/ ひとりぼっちは ほこらしい」 とひろし君は言った。「おひさま」 と「おなじきもち」。
今すぐ2015.1月号を買って2月号も買おう!!
確かに何かがはじまっているようだ!! だから希望は捨てないでね☆
―― 今回はこの辺でノシ
わざ武王には手も足もない
―― そうだ! 口があった!!
不覚でした。
私は『わざぼー』 においてトラウマになっている話がいくつかある。なかでも、最終話「ありがとな! わざぼー!!」 のまーの敗れ方は思い出すのも恐ろしい状況で泣くほど怖かった。
わざ武王も含む<わざぼー> という武器は技を出したい相手にぼーの頭を当てて、ぼーが持ち主の叫んだ技の名前を聴くことで発動する。それは持ち主のイメージをわざぼーが翻訳して伝えてくれるもののようでもある。絶対に言葉を聴いて理解してくれる(そして、伝達してくれる) 存在だというのなら、わたしも欲しい・・・・! 信頼できるし、安心だよね!
一方で、わざぼー自身も声を発してしゃべる事が出来る。みみみは、わざぼーの“声” を戦いのアイデアに用いて彼らの大声でまーの声をかき消した。指導者により団結した大勢の前にひとりの声は心もとない。先にみみみにやり方を否定されたばかりなのに、打ち消され続けるまーさま可哀想。
この心細い局面で、さらに、わざ武王が勝手に叫びはじめるなんて! それも、みみみのアイデアを真似て! 聴く役目を忘れて声を発しちゃダメじゃないか! 戦ってる相手の言うことを聴いちゃダメじゃないか! どうして、ここでまーの声を聞こうとしないんだ!! ・・・・ まったく、わざ武王にはガッカリだ。
ねえ、まーさま。
わざ武王には口があるんだよ。
*
『わざぼー』 の頃、まーは手下を引きつれこき使い「道具(ルビ: なかま)」 と言った。身勝手の塊のようだった。これは―― そう、必要な技能をもつ知り合いを自分の都合で呼び出して質の高い仕事をしてもらうような交流関係を“持つべきものは友だち” と呼ぶにも似る。―― ああ、きみは、まるできみは<ひかるひとりぼっち> だ。
そうなんだ!
まーに限らず、この作品の登場人物はみんなひとりぼっちだ。おなじ事柄に取り組んでいても、それに携わる目的は重ならない。「まーを倒す」 ためにめんめんの呼びかけで団結したみみみ、むむ、めんめんもそれぞれにまーに立ち向かう想いは違ったように。わざ武王を復活させるにしても、めんめんとまーじゃ正反対の方向を向いていたように。まーも言っていただろう「オレのため」 と。誰もが自分のため。取り組みを表す言葉は同じ響きを持ちながら、決してその意味は共有されなかった。
『わざぐぅ!』 でまーのひとりぼっちっぷりはことさら強調される。一方的につぶやきつづけていたまタロー、「ライバル打」 でももタローに召喚された他の挑戦者たちに押しつぶされるように追い出されてしまったバトルクリフ決勝戦のまー。これは『わざぼー』 での振る舞いと敗北を繰り返しているとも言える。
まーは一方通行なのだ。戦いの崖に「世界を滅ぼしてしまうようなヒミツ」 があると知ったところで、それぞれに意義を見出し挑戦している者たちにはどうでもいいことである。それでも、一方通行に発した言葉によって誰かと考えを共有できたようなつもりになっている。「命令」 によって「だれかのチカラを借り」 たつもりになっていたように。
「使う」 とは、その一方通行な意思伝達を象徴的に表した言葉であり、それが「道具(ルビ: なかま)」 という言葉になっている。だとしても、伝え続ける姿には心動かされてしまうんだけど・・・・
ね、まーさま (以下略)
*
でも、しかし だが しかし
ついに、ついに、わざ武王が完全復活!!
「・・・長かった・・・。/おそろしく長かった・・・・。」
わざ武王の実感のこもったコメントです。連載初期から読んでいる読者も待ちくたびれていたところでしょう。わざ武王の気持ちは痛いほど分かるよ! ん? ちょっ、まて! なんだそれは! これまで僕たち私たちが見守ってきたキャラクターたちの活躍が、まるで些細なことだったみたいに! どうでもいいというのか。
グォ~~~~~~~~~~~ッ!!
気がついただろうか。私たちにもとてもビックリするようなことが起こった。なんと、その瞬間、まさに作中のキャラクターと読者とが一つの同じ事柄を共有した。いままでずーっと眺めているだけだったのに・・・・ !!
「きっとヒトはみな、自分の中に『言い表せないナニカ』 を抱いているんじゃなかろうか。絵や音楽、詩などに出会ってナニカが動いたとき『共感』が生まれるんじゃなかろうか。」 と詩人・工藤直子がコメントしてるというのは「はじまり」「工藤直子」 でググれば出てくるハズ。曲集『光と風を連れて』 の楽譜に掲載されてるようです。
私の中の「ナニカ」 はいつでも言い表せない。まーに寄せたわたしの「ナニカ」 なんて私以外の誰にとってもどうでもいいことだろう。「ひとりぼっちは さびしいが/ ひとりぼっちは ほこらしい」 とひろし君は言った。「おひさま」 と「おなじきもち」。
ぼくのまわりを ながれるじかんはそれがどういうことなのか。私が言葉で言おうとする限り誰とも共有することはできない。すごくさみしい。残念だ。ただ、少しでも伝わることがあるならば・・・・、
ほんじつ ただいま
いまの「いま」だけ!
今すぐ2015.1月号を買って2月号も買おう!!
確かに何かがはじまっているようだ!! だから希望は捨てないでね☆
―― 今回はこの辺でノシ
PR
この記事にコメントする