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深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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※ 深水の解釈を作品にフィードバックするという作業を書き留めたものです。
※ 内容の性質上、ものすごくネタばれがあります。

― ― ―

● みみみとわざぼー、まーとわざぼー

前の記事で6巻「みみみとまーとわざぼー」って、みみみとまーそれぞれのわざぼーとの関わりかたについて描いていたんじゃないか? という話をしました。詳しい話はそこにあるので省くけれど、みみみにとってわざぼーは<他者>らしい。それじゃ、まーにとってのわざぼーはどうだ?!

という疑問が当然わいてくる。さて、どうなんでしょう?

これについては丁寧にテキストを検証する作業はしません。飽きちゃうと思うのでザザーっと書くけど、流せば流すほどわかりにくい内容になって「考えるな、感じろ!」というイマイチなものになってしまいます。よいこはマネしちゃいけないよ!

さて、その答えを直接説明するような書かれ方はしていない
(例えば、「わざぼーは兵器だ! これは“俺の”チカラだ!!」 などと言ったりしないということ)。

けれど、「…その怪物とは…、/兵器!」 と言っている。また、巻を遡ってみると、わざぼー使いを指して「道具(ルビ:なかま)」 とも言っている【3巻・外伝】。どうやら自分と関係のあるものは、それに意思があるかどうかに関係なく無機質なアイテムとして捉えているらしい。それでいて、わざぼーを身体の中から出すという描写は、まるでそれが彼の一部であるかのような、自分自身とわざぼーとの区別の曖昧さをいうようである。

つまり、自分と関係のあるものを自分の道具のように使うのは、
自分と他者との区別が曖昧だからで、世界は自分だし、自分は世界だという認識をしているっぽい。
「技神まーは世界でイチバン強くなるため…。…そして…わざ武王は世界征服のため…」
【6巻「復活した宿敵とわざぼー」】
ということだった。だれより優れた最強のイチバンになるのがまー本来の目的だったとしても、わざ武王の世界征服に加担したために、イチバンになるとは征服の意味を帯びる。そして、自分がイチバンの世界は、自分を中心にした、自分の手足を周囲のありとあらゆるもので拡張したような世界だ。そういったことが、まーの<自身と他者が曖昧>な認識(感じ)によって描写されているんじゃないか。

最終話「ありがとな! わざぼー」では、まーの破滅と共に居城・暗黒ま城は崩壊するし、みみみを道連れにしようともした。これもまた自分と世界の区別の曖昧さを言うようである。世界が自分を中心に回っているまーは、自身の崩壊は世界の崩壊にならなければ気が済まない。

…… 先の話も読んでしまったけれど、みみみとまーそれぞれのわざぼーとの関わり方は、みみみにとっては<他者>。まーにとっては<道具>であり<自分の一部>だった、と読んでみたい。

拍手



* * *

別の話題。

みみみとまーそれぞれのわざぼーへの認識について確認しました。これは、わざぼーに限らず、対ヒトにも通じているでしょう。ほんとならやなきゃいけないんだけど、事例をあげつらったうえで結論として、わざぼーへの対応は二人の対ヒト認識と同じ! と検証していく手順を踏むのを省きます。

今回は

 みみみにとっては<他者>、まーにとっては<道具>であり<自分の一部>とは
 わざぼーに限らず、ヒトに対しても同じ


ということを前提に『わざぼー』6巻までの結末について考えてみました。


● 実際のところ

みみみは一緒に戦った仲間に「ありがとう」を言う。これは他者を区別しているからこその「ありがとう」なんだ! と思いながら読むと、色々合点がいきます。わざ武王が正体を現したのちの、みみみ(わざぼーたち)とまー(わざ武王)がくりひろげた戦いは、

  ・ みみみはひとりでやるという割に、最後は仲間のチカラを団結させてる
    んだから、ひとりでやってないじゃないか!

  ・ まーはチカラをかりると言った割に、最後は誰にもチカラになってもら
    えず、結局ひとりでやってるじゃないか!


という、先の記事で確認した各々の目標に臨む態度とは逆転した内容だった。一体どうしてこうなってしまったのだろう? それは、みみみとまー(ひいてはわざぼーたちとわざ武王)それぞれの存在についての認識の違いのためではないか。

みみみの態度である「ひとりで」とは、自分と<他者>が別の存在だという認識をしていることを示していたのではないか。同じ相手に立ち向かう者がいても、全員が一つの塊になるのではなく、<ひとり>が集合したものだと考える―― それは合体したわざぼーに顔が3つついていたことからも伺えるかもしれない。

一方、まーが言った「怪物のチカラをかりる」とは、一見他者を区別している言葉のようである。しかし、まーが他者を「道具」、わざぼーを「兵器」と認識していることを鑑みれば、“他者の協力をあおぐ” というよりも、“道具を使う” に意味が近く、チカラをかりられるほうの意思とは関係なしに、そのチカラを自分の意のままにしようという発言ではなかったか。(※1)

他を道具としてそれをあやつる自分を中心にすえた認識をするまーの態度と、わざ武王の宇宙となって惑星を操る【3巻】という表象は似通っていて混同する。

それでも、まーとわざ武王は別々の存在だ。これは、わざぼーが使用者の声を聞いて技を出すことができるという機能によって暴かれることになる。声によって発話者と聞き手という関係が構築され、それぞれが別々に存在するものだという事実を突きつける。(※2) まーの声が聞こえない、わざ武王に声が届かないという状況に陥って、それぞれが<他者>として<ひとり>に分断された。

<自分>と<他者>との分離によって、まーは<ひとり>になってしまった。そもそも、それぞれが別々の存在だと認識していれば、

  まーとわざ武王(2人)VS みみみとわざぼー、わざこ、わざっチ(4人)

その場に居合わせない、むむとめんめんを数に入れれば、2VS6。人数の上で見れば多勢に無勢だった。その事実を、自分を中心に世界が動いているという認識によって見誤っていた。

つまり、自分を中心にして<他者>を自分の一部のように考えるという認識が「チカラをかりる」という歪んだ言葉で言い表されていた。しかし、戦いの中で自分自身は<ひとり>の存在であるという事実を突きつけられた。そして、まーは「チカラをかりる」と言っていたが、実際は<ひとりで>戦うことになってしまった、ということではないか。

[メモ]
※1 協力を求めるめんめんの一連の行動と比較してみてたい
※2 個人を象徴するのが“声”なのかもしれない。


● ありがとな!

まーは戦いに敗れてなお、自分の破滅と<他者>であるみみみを道連れにすることで、自他の区別を曖昧にしようと、自分を中心にした世界の認識を続けている。それが、城の崩落にも表象されうるとは先に書いた――


って、だんだん言葉が固くなってきてうっとうしいな(汗 すみません。


仮に、まーを中心に世界を見た場合、『わざぼー』は“技神まーの物語” ということになる。(主人公を技神まーとして読む) そして、そこに登場する“その他大勢” と言う名の個人・みみみの冒険として描かれていた。それが『わざぼー』という作品の語り口だったのではないか。

すると、「ありがとな! わざぼー!!」のタイトルページの集合絵もなんとなく意味深長で、まーとわざ武王以外の登場キャラクターが全員描かれている。みみみを中心に描いていたものの、物語に関わってきた大勢の人物の中の<ひとり>でしかない、ということを思い起こさせる。みみみを主人公として描くことよりも、その他大勢の代表として みみみ にスポットを当てていただけだ、ということをいわんとしてるともとれるような…気が…する……(あまり自信がない)。

ヒトと、わざぼーという意思を持ったアイテムの関係をメインに描きつつ、支配、仲間、恋愛といった<他者>とのつながり方(関係性)を描こうとしていた話だったんじゃないか?! と言いまとめたいのだけれどどうだろう。

わざぼーが意思をもったアイテムというところがネックで、道具と他者のあいの子だから、道具と思えば道具だし、他者だと思えば他者だ、という二面性を理解しやすい。そういったアイテム・わざぼーの扱い方をそのままヒトとの関係にもスライドして読ませようというしかけでもあったと思うんだ。

…… たぶん、相関図を書き起こしながら読んだら楽しいよ!


* * *

ということでお疲れ様でした。最後の最後でグデグデなったのは仕様です。
読んでる人も絶対ダレてると思った!

ダメ押しで聞いて!


● 言葉―― 二重の意味と本心

まーは結局どうしたかったんだろう? というかねてからの疑問を蒸し返します。
彼の初登場時、「道具」と書いて「なかま」と読ませる独特の言い回しをしていたのはヘビィ血みどろ事件と共に印象的でした。これは先にふれた「チカラをかりる」とおなじく、彼の自他の関係についての認識の歪みを表す発言ととれます。

でも、やっぱり気になるのが「道具」と割り切らないところと「チカラをかりる」と他者の助けを求める言い回しをしているところ。素直に読めば、まーがひねくれてるから、ひねくれた言い回しをしている。それぐらいまーは性格が歪んでいると理解すればいいと思う。でも、もしかしたら意味が建前で、言葉が本心なのかもしれない、という読み方もできると思う。

「道具」と「なかま」を混同したことで、まーが求めていたのが「道具」なのか「なかま」なのか定まらない。自他が曖昧なだけでなく、言葉遣いもめちゃくちゃだし、「邪竜アッパー」はわざぼーで出した必殺技でアッパーじゃないという具合に、実際と認識とがチグハグ。まーの本心がどこにあるのかよくわからない。

物語はこの先、まーの認識が実際に近づくのか、実際がまーの認識に近づくか。
そもそも、そういう話だったのか。

なんだかんだで、彼を中心に読みたがる私の贔屓目は既にその術中にはまっているに違いない。 邪悪なオーラを放っているらしい奴の末路なんて考えるとつらいよ! 恐怖と絶望と服従はヤなんだよ!!

“We'll be comrades,and have scandalous good times!”[マーク・トウェイン『No.44, The Mysterious stranger』 44号の台詞より]


* * *

最後に、このまえの「なんとなくわかるだろう話の読み方」に拍手をくださった方、ありがとうございました> < 読んでもらえた! というレスポンスがあると、自分で定めている本来の目的とは別に、文章に書き起こした甲斐があったと思います。長い文章読んでいただけて嬉しかったです。


と、お礼を最後に持ってきたのは不親切だ(‐▽‐; <照れ照れ


またまた、やたらに長くなってしまいましたが、今回はいい加減ここで区切ります。
ではではノシ
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