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深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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話題を広げ過ぎて内容が分かりにくくなったので、やっぱり記事を割りました。

わざ武王、わざぼーぐぅという「武器(ここに限り便宜上そう表記します)」って名前がおもしろいなーという解説また機能に関する解釈の話をしてから、まーさまかわいそうといういつものヤツです。

……そろそろ私も気づいてる。漫画キャラクターに語りかけまくってる気持ちの悪い読者だということ。そして、「可哀想」を言いまくることでまーが可哀想な人だと印象操作するのはむしろまーにとって迷惑千万な行為 ということも!

でも、結局まんがキャラクターだもの。

――ゆるしてにゃん☆

断っておかないと許されないことだと思うので、ご注意です! 作中のネタバレを多く含みます。これを読んで興味をもって漫画読みたい買う! に繋がればよいですが、ネタバレありえない。楽しみにしてたのに、うわーん! と思う人もいるのではないか。また、ここには深水の解釈が書いてあるのであり、作品は全然別のことを言っているかもしれないので鵜呑みにしないでね! ……みんな、『わざぼー』『わざぐぅ!』読もう!

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* * *

● 「わざ武王」と「わざぼーぐぅ」


物語の終盤は、わざ武王VSわざぼーぐぅの決戦になります。
これら二つのアイテム(?)の性質について見てみるとこのバトルがもっと楽しめるハズ! ということで、今回はまず「わざ武王」「わざぼーぐぅ」についてお話していきます。

前回ぶんと重複しますが、「わざぼーぐぅ」と「わざ武王」それぞれの機能について私の解釈を載せておきます。(そこそこ手直ししました)
※ 前提として、いずれも元は「わざぼー(あるいは、わざぐぅ)」の使用者の言った技の名前を聞いてそれを技として発動するという性質のもの。


  ・ わざぼーぐぅ

ボツになったデザインは、ももタローがわざぼーあるいはわざぐぅの顔のようなものを纏っており、その衣装からわざぼーのように生えた棒をみみみが握っている、というものでした。(見た目にすごいインパクトなので『わざぐぅ!』6巻 で確認しよう!)

ボツのデザインのほうが機能を直接反映したものだったように思うのですが、「ボーグ(わざぼーぐぅ)」はそれを纏うももタロー自身がわざぼーやわざぐぅの「聞く」機能を担っており、その生成に携わるもう1人の人物みみみの意図をももタローが理解して技の名前として叫び、ボーグ自体の機能により発動させるという機構が伴う。また、ボーグは使用者のやり取りには口を挟みません。それぞれが役割を担い、他者の意思を汲みながら出す技を決定するという特徴を持っている。


  ・ わざ武王

一方、わざ武王はわざぼー・わざぐぅの使用者がそれぞれに持っている計5つの玉をわざ武王自身が食べることで完全なものとなる。玉は使用者の力を記憶するものです。言ってみれば、玉の持ち主である使用者を強さとして主体性のない無機質な玉に置き換えて、わざ武王自身が力を持つ主体となる。それが彼の完全復活でした。他者の意思を認めず、わざ武王がすべてにおいての決定をくだす支配的な性質をもつ。


ところで、


「技神まー/ブキをもたぬキサマが、/戦いに勝てるハズなどないのだ。」


と、わざ武王がわざわざ「ブキ」をカタカナで傍点付きでいうのは、「ボーグ」との対応を意識しての表記だったと思う。「ボーグ」は成語を説明するため、あるいは「わざ武王」と対応させるため「わざぼーぐぅ」と言われたり、戦いの道具として使うから「武器」と言ったりしているけれど。……昨今政治界隈で色々言われる積極的平和主義みたいなニュアンスで理解するのはモヤっとするからや・め・と・け☆


武器(→wikipedia)>に対する<防具(→同)>というのはパッと見で察しのつくことだと思うけれど、面白いのは、他者の意思を認めない絶対の決定権を武器(殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化を元来の目的として攻撃能力を有する道具)とし、それから身を守る防具となりうるものは他者の意思を認め合って決定していくことだ、と言っているところ。

絶対権力 VS 民衆 の構図を想起させられます。



● 技神まーと王権神授説

そういうことも、あるのかもー っていうぐらいの話題ですが、技「神」まーとわざ武「王」という名前からも、言葉遊びのようなものを読みとれるかもしれない。
「神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない(抜粋)」――王権神授説(ウィキペディア)
とは言うものの、王権神授説で意思や権力を保障されるのは<神>ではなく<王>です。神が宗教理念として存在をいわれていても直接我々にちょっかいだしてくることはまずない(それこそカルトの話になります)ので、実在する王の意思決定を絶対的なものにするための口実でしかありません。

だから、技<神>が使役するわざ武<王>という組み合わせ、その関係性が描いているのは、王権神授説の胡散臭い感じを示しているように思える。一見<神>の意思を代弁するようで実際は<王>の権利を盤石にするための政治的意図が勝っており、<神>は形骸化する。

先に言った通り、使用者である<神>こと技神まーは強さとして玉に置換されてしまいます。それは、みみみやももタローたち以上に直接的に自身の身を持って表象されることとなる。……あーあ。わざ武王に玉と一緒に食べられてしまった!

うわーん。


● そっと離れるばっかじゃダメだってば!(しつこい)

他者の意思を認め合って決定していった結果、小池一夫さん(ブログ内記事にリンクします)じゃないけれど、ももタローたちはそっと離れる「さよなら」を選択する。……や、もっと過激なことしてますが。

ぶり返すのもあれだけど、小池さんの言葉はこのわざ武王VSわざぼーぐぅのような場合に当てはめて読むこともできます。でも、あの言葉だけだと私が小言を言った通り必要があって主張する人たちの行為さえも「加害」と切りすてる危険がある。だからこそ、<社会適応できる普通の人>に使われて欲しくないと言ったわけです。

わたしは、正直、ほんとになんかもう。まーさま見てるの辛くって。
まーって社会適応できる普通の人かな? 違うよね。自分以外を否定する馬鹿にする我慢ならず排除したい。そういう人だからこそ、社会適応できないわけでさ。そういう人が「そっと離れる」を選択し続けて存在を認知されないのならさ、ゾーニング云々じゃなくて、もうそれは、サイレントマイノリティっていう可視化されない存在で、ほぼいないってことでしょ。

顔を出してたのにさ。追い出されちゃってさ。
そのあとの「殺してやる」はよろしくなかったにしろ。
もう、それが悲しくて悲しくて……。

「わざぼーぐぅ」の技々家の姉(まーの考えを理解してる風の人)と弟(多くの人と戦いを交えている人=見分の広い人)のもたらした結果だから、まーは救われました! という形にはなるにしても、まーの表情が硬いのはやっぱりこれじゃ救われないよなーっていう描き方だよね。



● まーはどうすればよかったんだ!

まーが食べられたショックが大きかった勢いにまかせて、そこそこ失礼なハガキを曽山先生宛てに送り付けた馬鹿ですが、まーさま地球へようこそ。トモダチになろう……。

いや、まーさまは結局、自滅した馬鹿といえばそれまでです。「さみしかったんじゃないの?」という過去が言われることはないし。仮に技神もー(幻の弟)がいてカインとアベルみたいな話で、もちろんまーさまがカインだ。アベルなもーのほうが周囲から優遇されていたのが悔しくって自分こそが「イチバンになりたい」と思っていたまーがわざぼー(わざ武王)を手に入れ、殺しちゃうという話なんだよ。きっと。

わざぼー使い史上はじめての殺人だった……みたいな!

「追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、ヤハウェは彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないための刻印をした(ウィキペディア)」そうなので、まーは他のわざぼー使いに技をかけられても無事だよ! チート設定だよ!

とかね。そういう話があったとして、まーって可哀想な過去を持ってるから可哀想なんだ! みたいな話になると、大切なことを見落とすかもしれないからそんな話なくてよかったと思う。

「イチバンになりたい」と言って他者を支配しようとするのがまーの判断力の危ういところ。他者を支配するという行為についての肯定(自己肯定)のために、絶対的な決定に訴えたところがよろしくないのよね。

言ってみれば法律のような。


  ・ バトラー判決-常に初陣(個人ブログ記事)
   [http://yoichi132.blog41.fc2.com/blog-entry-269.html]


バトラー判決はザックリ。女性活動家の訴えにより、女性の権利向上のためポルノグラフィを規制することの合憲性が認められた。結果、権利を主張するうえで重要な文献や芸術作品もポルノグラフィと判断され規制されてしまい、権利向上どころか権利として表現する場を失う結果になってしまったことがあったよー、という例。

なんでこれを持ってきたかというと、まーを女性活動家だと思って読むと分かりやすいと思うのだけれど、女性活動家とか言うと書いてて面白すぎるので<活動家>。ポルノグラフィの規制は<表現の規制>に言い換えます。

まー(活動家)は自身の主張である“イチバンになる(権利を向上する)”ための確実な方法として、“強者が他者を支配すること(表現の規制)”をわざ武王(合憲性)に求め、認められた。

結果、まー(活動家)自身がわざ武王(合憲性)により“強者が他者を支配すること(表現の規制)”の対象となり、イチバンになる(権利を向上する)ための活動を制限されてしまった。

……みたいな。「イチバンになる」という活動をするのに「強者が他者を支配する」という判断が適当かを別の意見を持っている人と議論する必要があっただろうし、自分の正当性を保障するために絶対的なもので定めてもらおうなんてアイデアは、絶対的なものに自分についての定義をゆだねることに通じてしまう。

女性の全裸画像はワイセツです! ポルノです!

ということにしたら、女性はワイセツな存在だというのも同義になるように。絶対の決定は例外なく、強者じゃないまーを他者から支配される存在にしてしまうんだから。

そして、ブキがないと弱いことにされてしまった。まーさまがたぶん身を守るために纏ってるとおぼしき鎧とトゲの無意味さを思うと泣いちゃうよ……

オレのバリヤーは他人を支配するためでなく、自分を守るために使うべきだったのではないか、と。ホントに残念すぎて考えれば考えるほど悲しくなるので……


どうか、地球では元気でね!

(まタローという防衛戦略はありだったと思う!)
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