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深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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『コロコロアニキ』第4号☆感想に拍手くださった方、
ありがとうございます!

検索除けしていないブログのほうから、つづけて書いてきた『わざぼー』『わざぐぅ!』感想以外に特に興味をもたれるようなことは書いていないと思っていたので、あとはもう、本当に自分の好きなモノをひとり言にブツブツ言ってればいいぐらいの気持ちで反応を期待していなかったので、本当にうれしいですm(_ _)m

 *

前の記事で書いたように買ってきた「ゆーほーくん」は、期待していた以上にツボでした。
が、感想文章まとまってないので、

先に、アニキ4号感想の直後ぐらいに上げる気だった文章をやっとまとめたので、そちらを。
「明日は日曜日……」の感想、追記みたいなものです。

(昨年サボったせいで後回しだけど、書いておきたい事はたくさんある……)


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1月28日に発売していたんダっ!!!

かもかてで遊ぶのに夢中になっていたらこんなことにっ。
マジみかくにんだったよ! 気がついたら発売していたよ! 

本屋に急がなきゃ!


コミックで購読と決めていたので、リアルタイムで見れないのがくやしいところ。

『わざぼー』『わざぐぅ!』を読む態度の反省から、今後はほどほどに……。読みだすと執拗になるので、やりすぎないように色んな作品を楽しんで分散させていこうと思う。そういう意味で、『冠を持つ神の手』は救いの手でした。アネキウス様に感謝だ。


コミック買ってきたらポソポソと感想書くつもりです。

あー…… やっと会えるよ、ゆーほーくんに。

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あけましておめでとうございます。

まずはご挨拶から、昨年末より音沙汰なく活動休止していたのは
別のことをやっていたりーの、体調不良ありーの。

クリスマスと年始のイラストをあげられなかったことが悔やまれます。

近年は『わざぼー』『わざぐぅ!』以外の他の作品を読むことも少なくなっており、その弊害を自覚しつつありました。というのは、自分で整理して物を言うことがむずかしくなった、こと。(あるいはそう感じる、ということ)

私は『わざぼー』『わざぐぅ!』についてはしゃべりまくっているので、話をする前からある程度何を言うかという筋道はできている。そのすでに引かれている線を何度となくなぞることを繰り返すばかりなのだから、そうもなりましょう。

これは、作品が悪いのではなくて私がおなじものにしか触れていないせいで、刺激がなく、鈍感になっていった、よーするに私が別のことに挑戦したり興味をもって取り組もうという努力をしなかったのがイカンことです。

ということで、
2016年はもっと色んなことに興味をもったり、ときめいたりして、
考えるアイデアを充実させていきたい なーと思いました。


皆さんにとっても、今年が良い一年になりますように☆



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※ この記事は、私が言いたいことの整理を目的としています。メモみたいなものなので内容の重複が大分ありますが、大目に見てね! 論拠となる作中の例を具体的に用いては場を改めて記事を書くつもりです。ちゃんと確認せずに書いているので、後日意見が大幅に変わることがあるかもしれません。ネタバレがたくさんあります。

● 概略(整頓中)

わざ<武王>は武力で他を制圧した王であり勧善懲悪における勝利者が統合した世界を象徴する、とかなんとかこじつけてみるとめちゃめちゃ座りがいいゾ!(ちょっとうまいこと言ってみたかった)

武力は他に向けて行動を起こす、攻撃するためのものだ。勧善懲悪は、一方を善として他方を悪とみなし罰する物語のパターンの一つだ(リンクはWikipedia)。わざ武王は、他を攻撃することで攻撃主体である自身を善とし他を悪とみなして排除あるいは自身に統合していく。善なる武力をもつ者を王として世の中を支配するシステムそのものである。

くりかえすけれど、わざ武王の名前にひっかけて言うのはこじつけです。

狙って名づけたんならスゲェ。



『わざぼー』は、主人公が敵対勢力を融合/排除することによって得られる平和が、悪による征服/滅びとほぼ同質であり、いずれも〈受け入れがたい他者を消す〉ことだという勧善懲悪的な勝利への疑問を描いていたと読める。

まーが歯を食いしばってみみみを拒む態度でいることは、勧善懲悪的な主人公に取り込まれずに悪(=受け入れがたい他者)が個として存在し続ける希望を示している。つまり、「だれにも消えてほしくない」を実現し得るのは、目の前に存在している受け入れがたい相手からの拒否だ。まーは最終局面で希望として、みみみにアイデアを提示していたと考えると、『わざぐぅ!』のつなぎとしてスムーズに理解できる。

これを受けて、全てを託されたり請け負ったりしたみみみがみんなを拒否したことで、融合/排除されて消えた人たちも個として存在を取り戻すことが出来た、ということにしておきたい。(願望)

『わざぐぅ!』では、ももタロー、ギンタロー、まーに「おまえのやり方嫌いだ」「ハナクソウンコ」「ゴミくず/馬鹿」などと、受け入れがたいやり方への拒否を表明させ、彼らの、そうしたやり方をする相手と勝負した後の対応の違いを描いている。

ももタローはひたすら拒否して自由に戦う。技神まー以外の個々の主張を尊重していて、自分に対しても肯定的だし常に楽しそう。敵にも連勝する。

ギンタローはひたすら負けて自分に否定的になる。しかし、観衆によって肯定されることで、勧善懲悪的約束事における敗者を淘汰する思想を回避する。

まーは『わざぼー』の頃と同様に勧善懲悪的だが立場が異なる。融合/排除する支配者(勝利者)側から前作ラストで融合される側にまわったまま、今度は排除されそうになって、技々姉弟への積年の恨みによる殺意を表明する。

まーをおびやかしているのは勧善懲悪的勝利の支配システムによって集団が一つになったものだ。集団の核となるのが主人公であり、まーは悪だ。〈主人公集団による融合〉〈主人公集団からの排除〉によって、悪である彼が集団の中で個として存在を肯定されずに消されてしまわないための戦いとしてもみることができる。

実は、勧善懲悪的勝利の支配システムによって集団を一つにする主人公に該当するのは、わざ武王でもあった。まーはわざ武王が集団を統合するための犠牲者となる。

犠牲者になる、というのがどういうことかはもうちょっと考えよう。


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※ 実験的に全く同じ内容を、テキストのみ(この記事)と、画像の引用を交えた記事を書いてみました。見やすさはテンプレートへの依存もあるけれど、記事の内容によってどっちがいいかは悩むところ。

以前、まーの振る舞いがどういう性質のものかを確認した。今度はまーの考え方を理解するために、彼が他の登場人物と意見を衝突させるシーンをピックアップして、一個ずつ見ていきたい。

この記事では、4巻「技神まーとわざぼー(A)」「やってきたライバルとわざぼー(B)」を参照し、まーとみみみの考え方の違いを見ていく。板挟みになったシッポウの活躍はなんだったのかを考えたり、まーにシッポウが消された件についてみみみの責任問題を検討したりもする。

※ 話のタイトルは上記()内の略記で示している。



ことの発端は、みみみが敵であるシッポウの高熱を介抱したことだった。書き忘れたけれど、上にあげた2つの話の手前「カゼひき戦士とわざぼー」でのやりとりである。


  「強いヤツと最高の状態で戦いたい」!!
  ―――ただ…それだけさ…!――[4巻「カゼひき戦士とわざぼー」]


これがみみみの考え方。

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