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記事用の文章を書いていなかったのでリハビリに・・・

マーク・トウェインの「大きな闇」を読んだよ!

という雑記です。

この作品はずーっと、読みたかった。『マーク・トウェイン新研究』(彩流社)で紹介されていて、おなじく晩年に書かれた「No.44 ミステリアス・ストレンジャー」(翻訳本は、彩流社、角川から出てます)の設定を理解するうえで重要なものらしい。44号のぶっとんだ設定(44号の手にかかれば時間や空間や物体のあり方は自由自在ではちゃめちゃ)が大好きなので、この世界観についてもっと知りたい! という興味がありました。

日本語訳が『ゴシック叢書22 米国ゴシック作品集』(国書刊行会)に収録されているのは知っていたし、一度手にとってもいた・・・ んだけれど、一緒に収録されてる別の作家の作品「ああ、父さん。かわいそうな父さん。母さんがあんたを洋服ダンスにぶら下げているんだものね。ぼくはとっても悲しいよ!」 というやたらタイトルが長い演劇台本のほうに気を取られてよく読んでいなかった。(そっちはそっちで面白かった)

4年越しぐらいでやっと読もうという気持ちになれて良かった! やったー! という勢いだけですが・・・。


※ マークトウェインの研究史を詳細に追っかけて行くのは、私の貧弱なキャパシティには耐え難く、気が散りやすいのでまとまらない断念! ということで、自分の知ってることのみでお話していきます。詳しく知りたい人は、詳しい人の話を聞くのがよろし。



拍手


* * *

【参考図書・メモ】
A『マーク・トウェイン新研究』(彩流社)2002
B『ミステリアス・ストレンジャー44号』(彩流社)1995
C『不思議な少年44号』(角川文庫)1994
D『不思議な少年』(岩波文庫)1999 
E『ゴシック叢書22 米国ゴシック作品集』(国書刊行会)1982

※ ・情報は大体上記から、詳細はうろおぼえです。 ・執筆時期は「No.44」はABCDから。「大きな闇」はEから。 ・手元にAがない状態だったのでもしかするとそちらに「大きな闇」の発表時期について詳細があるかもしれません。




「大きな闇」 大まかな設定とあらすじ(ごちゃまぜです)

 ヘンリーは子どもの誕生日プレゼントの顕微鏡で水滴の中の微生物を観察し、感動。この観察している水滴を舞台に航海旅行をしたら楽しそうだ、という妄想を思い浮かべながら居眠り。夢の中で<顕微鏡を覗きこんでいた世界>と<顕微鏡にのぞかれている水滴を航海旅行する世界> のどちらが現実か区別がつかなくなる。(この航海旅行の世界についてを物語として語っている)

水滴の世界では、ヘンリーの妻、子どもたちのほか船長ならびに船員たちと共に船で暮らしている。夢として見だす以前から旅は続いていた。搭乗者の入れ替えや、海に現れる見たこともない巨大生物(覗きこんで見ていた微生物)に襲われて犠牲者がでたこともあったという。

水滴の航海旅行の世界には<夢の管理人>という、ものごとの成り行きに不条理な影響力をもたらす妖怪みたいな存在がいる。ヘンリーは彼と友だちだが、夢の管理人の存在を知らない人たちはその不条理な出来事の原因がわからず混乱してしまう。

水滴の航海旅行は、顕微鏡を覗きこんでいる世界の影響を受ける。観察する枠穴からはずれるところは闇、反射鏡の光を受けて丸く照らされる部分は「危険な鮮光」地帯である。また、覗きこんでいる世界でヘンリーは水滴にブランデーをたらしたことがあり、その影響が水滴の中でも起こる。海の色は変わり、海の生物は毒気にあてられて死ぬ。

航海が進むにつれ状況は暗澹たるものとなっていく。別の船と途中で出会い交歓訪問するが、猛吹雪により、ヘンリーの子の1人と船長の娘を乗せたまま、その船は姿をくらましてしまう。ヘンリーたちはこの船を十年追い続け、海が干上がった陸地に乗り上げる。なにもない陸地で難破しているのを発見するが、船内は飢餓のため全滅していた。連れて行かれた2人のミイラ化した死体も見つかる。

ヘンリーの船の船員は狂気に陥る。兼ねてから航海に不満のあった船大工のブラッドショーは難破船の財宝の山に座りガトリング銃を構えて独占しようとしている。他の船員も酒を飲んで狂乱騒ぎを起こし、銃を発砲。ながれ弾がヘンリーのもう一人の子どもに命中する。子どもたちの死のショックでヘンリーの妻は悲嘆にくれる。みんな年を取り、精神的に参っている。船長は航海旅行を計画したヘンリーが悪いと罵った。

その二日後には、ヘンリーと下男のジョージ以外死に絶えて、死体の山の中に立ちすくんでいた―― という状況で夢から覚める。妻と一緒に、小さな子どもたちの誕生日を祝う、顕微鏡を覗きこんでいた世界に戻ってくる。しかし、これは夢だ。壮絶な航海をした世界こそが現実だ、とヘンリーは思う。

(あらすじ、以上)



以前から聞いていた通りの暗い話でした。

「大きな闇(原題:"The Great Dark")」は作者の死後、デヴォートーさんという編集者がつけたタイトルで全体の雰囲気を表したものか。なお、遺稿整理をしていたペインさんという別の人は、この作品が顕微鏡を覗いている世界を妻・アリスが、水滴を航海している世界をヘンリーが、それぞれ陳述する形式で語られるので「エドワーズ夫妻の陳述」と名づけたらしい。まんまじゃねーか! とデヴォ―トーさんのテコいれによって出版に際し変更されたそうな。・・・へぇー。



● 格差社会の寓話か?

悲惨な状況が夢だと分かり安堵する夢落ちではなく、どちらが夢とも言えないという気づきに愕然とする・・・ や、顕微鏡見てるほうでは「夢の管理人」とかいないじゃん! というのはツッコんでいきたいところです。現実は酷いもんだ、夢って素晴らしい! ていう現実逃避、とも違う気がする。ヘンリーとアリスで認識している現実の世界が違うということも指摘できる。

 ・ 個人によって現実の受け止め方が違う
 ・ 別の現実は夢として認識する
 ・ 個人的現実が悲惨でも別の人の現実(という夢)は安堵に満ちたものかもしれない

現実か夢かについては、こんな感じでざっくりまとめてみますが。

ところで、この話は「顕微鏡で観察する水滴」を媒介に一見別々の二つの世界について語られる。ヘンリーは水滴の中の現実を生き、語っていた。しかし、水滴を観察する立場では、それを上から、存在すら知らなかった微生物の世界として覗きこむ。微小なものと、大きなものの二つの立場で一つの同じ水滴と関わっている。

これは格差社会の構造について寓意的な比喩を語っているともとれる。とるにたりないような小さな世界のことは大きな存在として外部から捉える限り、中で起こっていることやこちらからの影響について考えることはできない。一方、小さな世界からはどんな微小なものも得体の知れない巨大な怪物であり、大きな世界からの影響力も自然と捉えるほかなく非力にも抗うことはできない。知識や自分の置かれている立場、大きさによって、現象の捉え方が人類にはどうすることもできない自然のものか、とるに足りないことか、という差が生じる。

思えば、マーク・トウェインの別の作品にキリスト教圏の文化を中心にした文明人と未開人について語る「暗闇に坐せる人々」というのがあり、暗闇の中の人とは未開人を指している、と前掲の「新研究」で紹介されていたような覚えがある。<闇>はこの<未開人>の置かれている立場を示したかもしれない。



● <夢の管理人>ってドラえもんっぽい

ただ、社会のあり方、捉え方のカリカチュアとして語られたものと言いきるわけにはいかない。<夢の管理人> という、自然法則を無視した不条理をもたらす妖怪っぽい存在が登場するが、コイツは一体何者だろう? というのはたぶん「No.44 ミステリアス・ストレンジャー」(あるいは「ふしぎな少年」)で描こうとしたのかな、と思う。

人間からしたら自然法則を無視しているともとれる、時間や空間や物体を自由自在にする不条理な存在が<夢の管理人>および<44号>である。彼らは、どういうわけか語り手と友人で、語り手が呼びかけると事件について気をまわすこともある。(が、基本的には自由奔放である)

あらゆる未知の巨大な影響力を自然、あるいは神の力(これは「No.44 ミステリアス・ストレンジャー」とその別本に顕著な話題)としがちだけれど、それは得体の知れない不条理を操る存在によるものであるかもしれない。それらしい証拠を語り手たちは知らされるわけである。

彼ら、不条理を引きおこす存在との親密さは、どうしようもない物事は自然や神が引き起こすものであって人間にはどうしようもないことだとシリアスかつ暗澹たる絶望としない。

語り手はどうしてそうなるのかを知っているからだ。また、その一端をどうやら語り手自身が友人である不条理の使い手に協力や影響力を求めた結果でもある。そうしてマッチポンプ的に起こる悲劇は「あーあ、やっちまったな!」 とツッコむ隙を読者にもたらしているようにも思える。そうだ。

・・・ これは、のび太くんじゃないか!!


マッチポンプということは、行動の可能性ともいえる。

語り手は、巨大な力はどうにもならないとは限らず、不条理を操るものによって引き起こされることかもしれない、というヒミツの一端を担う。その強みと失敗の両方を体験する。

不条理は易となるとは限らない得体の知れないものではあるけれど、自然や神など抗いがたい絶対的なものではなく、友だちのように親身になってくれる。自然-神>人間という主従関係のような凝り固まった法則性にとらわれない、物事への柔軟な姿勢やアイデアに目を向けることへの誘導にもなっているように思える。

これは「No.44」で44号が繰り返し訴えていたし、結末部分の長いセリフでも説明してくれている。それを聞く語り手・アウグストは<希望に満ちたアイデア>として受けとめていた。

―― そうした不条理という視点の獲得とともに「No.44 ミステリアス・ストレンジャー」とは設定違いの没になった未定稿「不思議な少年」(岩波文庫)で、人間の創造力のくだらなさと、笑いの力の強さを説いたことは興味深い。



● 現実も闇であり夢でありアイデアである だからより良い夢を


「大きな闇」のはなしに戻ると、作品の中心となっている語り手・ヘンリーは悲惨な現実に愕然とし、和やかで平和な、作品の枠組みに従えば<妻が陳述している>現実を夢としている。ヘンリーは辛い現実を体験し、知っただけの話として終わるため救いのない印象を持つ胸糞作品であった。

「大きな闇」は1890年代末に書かれたらしい。それと同時期に書きはじめ、幾度か書き直してきた「No.44」の終章は1904年に書かれたという。(終章への繋ぎはそのあと数年がかりで書いている) 後に書かれたこちらのほうの結末では、別の夢を現実逃避の産物のようには言わない。そもそも、人間は存在しないし、アイデアでしかないし、広大な暗闇を飛び回る孤独な存在なので、アイデアが作り出した現実は夢であり、別の夢を見ることもできる、というようなことを言っている。そして「もっとほかの夢を見てください。よりよい夢を」とはげましてさえくれる。・・・ 44号へのトキメキが禁じ得ない!

ということで、現実か夢かについてを箇条書きでまとめたところに1つ項を付けたして44号の「もっとほかの夢をみてください。よりよい夢を」を補うと、結末の解釈も変わってくるのではないか。悲劇をどうすることもできなかったとしても、それは自分がちっぽけで外の世界を知らなかったからだし、不条理の気まぐれに巻き込まれたせいにすることもできる。もっと大きい世界に向かっていこうとすることもできる。

全ての作品をハッピーエンドで終わらせるべきとは思わないけれど、同一テーマで読者が希望を持てる結末になるように模索した作者の姿勢がみえる作品のほうが読後感は晴れ晴れする。(多少ご都合主義であったとしても)

晩年はペシミスティックな作風といわれている(という情報はもう古いかもしれないが)トウェインさんだが、ポジティブな気分になるように物語を終わらせようとしたガッツを感じられる、この「大きな闇」から「No.44」への変化は魅力的だ。

―― ぜひ、合わせて読んでほしい作品!!



● おまけ

『わざぼー』『わざぐぅ!』を主に読んできているこのブログなので、むりくり関連性を持たせて余談をば。個人の創造力を不条理な自由なものとの親和性をもたせる点と、そうすることによる可能性の広がりのすごさ、すさまじさ、爆発力を描いている点に共通の発想を見出すことができるかもしれない。さらに、それら不条理的自由と対立するものに、自然と神、すなわち、わざ武王(惑星という大自然)と技「神」まー(人間の支配権力の象徴ともとれる「老人」かつ「長」を名乗る、あるいは「お面」により偽装している) という絶対的存在を据えている。マーク・トウェインの権力や宗教批判は個人の創造力、それも既存のものに発想を求めるようなやり方ではなく、既存のものを<笑い飛ばす>ことと言った点。ある意味で、曽山先生のユーモアに通じるものがあるように思われます。

曽山先生にかぎらず、笑いが既存の価値観権力を翻す力のあるものであるという論考なり、作品などは枚挙に暇がないですが・・・ 宇宙規模の話にまで広げるところが面白いなーととても惹かれました。

まーさまも、同じ白づくめコスプレならトウェインさん並みのことをして欲しかった…
どちらも<まーさま> だし。


ハードル高すぎかな?



そんな気持ちで、私はまーさまとまーさまを猛烈に支持しております。


―― ではでは、今回はこの辺でノシ
(雑記につき合って最後まで読んでくださった方ありがとうございました)
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