深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
(旧題:やばい しばい おーとばい)
昨日から徹夜して、なんとか書類を投函してきた。その足でコロイチ!(新五号)を買いに行く。現在、最寄の本屋(デパートのテナント)が改装中で同じ建物の別の場所に借り店舗を設けてるのだけど、4畳ぐらいのスペースに簡易机を5台組んで雑誌の新刊と話題図書のみを並べた超縮小営業中。文化祭の売店教室みたい・・・(^^;
それと中敷買いました。百円ショップで。
ではでは、二ヶ月に一度のお楽しみvV → 「わざぼー」感想いってみよう!!
今回でまーさまの可愛らしさが私の中で70ぐらいに上昇しました。
これぐらいのワルモノっぷりが、好きです。この路線でいきましょうよvvv
昨日から徹夜して、なんとか書類を投函してきた。その足でコロイチ!(新五号)を買いに行く。現在、最寄の本屋(デパートのテナント)が改装中で同じ建物の別の場所に借り店舗を設けてるのだけど、4畳ぐらいのスペースに簡易机を5台組んで雑誌の新刊と話題図書のみを並べた超縮小営業中。文化祭の売店教室みたい・・・(^^;
それと中敷買いました。百円ショップで。
ではでは、二ヶ月に一度のお楽しみvV → 「わざぼー」感想いってみよう!!
今回でまーさまの可愛らしさが私の中で70ぐらいに上昇しました。
これぐらいのワルモノっぷりが、好きです。この路線でいきましょうよvvv
* * * * *
しょっぱなのやり取りは、うちのブログへのまーさまからのメッセージと受け取ってもよろしいでしょうか?
きっと、私がごちゃごちゃ言葉づくしに色々言説ぶちまけることで自身が持っている<理想的な自己>が侵されることを恐れての抵抗に違いないのだわ!・・・だけどね、まーさま。
そういう頼りない道具を使って頭に浮かんだ形のないものを、他の人にも同じように理解してもらおうとするとき、<過程の部分>も表現することで相手に自分と同じような体験をさせようと努力するって方法もあるんだけれど・・・そういう意図を持って道具が使われるってことを相手も知らなければ、結局伝わらないんだけれどね!
読者の数だけ色々なまーさまが!!
・ ・ ・
妄言はさておき、何ゆえ まーさま ばかり一芸に秀でているのでしょうか。「どうしてお耳が長いの?」の答えはここにあるのか!?・・・そうかっ!!まーさまは月に住んでいるウサギさんだったんだ。餅つきが得意な変わり者だけれど、ホントは寂しがりやさんなのさ!!だから、空を飛ぶ鳥を捕まえようとしてトリモチ仕掛けに奮闘している、そんな、頑張りやでもあるのでしょう・・・ ←(いい加減にしましょう)
さて、相変わらず誤解を招く言動が飛び出すのですが、なんというか、これに対するみみみちゃんの今回の反応から推察するに、彼女は何もかも分かっていて、今まで男性陣から浴びせられる不可解な言葉に対し、そ知らぬふりで受け流していたのだろうか。
台詞はさておき、その後がなんかエロい。
・・・いくら分別ある大人読者(自称)の私でも今回は無視できなかった。いいのか。解釈の方法について学習していないであろう年齢層に発せられている作品だから。別にそういうことを言わんとするわけでもないし。
今回の最素敵ポイントは出だしがみーたん自らの自己紹介で始まる32ページ一番下のコマに右手を差し出してみよう!・・・ほぅら、まーさまでお手気分を味わえるぞ!!
しょっぱなのやり取りは、うちのブログへのまーさまからのメッセージと受け取ってもよろしいでしょうか?
きっと、私がごちゃごちゃ言葉づくしに色々言説ぶちまけることで自身が持っている<理想的な自己>が侵されることを恐れての抵抗に違いないのだわ!・・・だけどね、まーさま。
小説は、書かれてしまえばもう作者のものではなくなり、個々の読み手のものになる。誤読や誤解も避けようがなく、また、人それぞれの読みが必ずある。皆が同じ感想を抱く必要もない。これは小説の話だし、多くある言説のうちの一つだけれど。ものの考えの一つとして言うんだけどね・・・表現形式として小説とか絵画とか漫画とか会話とかあって、誰かは頭に浮かんだことをそれぞれの表現形式(表現 媒体/方法 の形式)に従って当てはめている。形式は誰もが共通に認識していると思われてるけど、それは単なる思い込みで、例えば、ある特定の動作を示す単語について考えてみるけれど、単語が示すのはその動作だけだとしても、その動作についての体験は個々人によって異なるでしょう?「泣く」という単語が示された場合、そこに内包される感情を連想したとき、ある人にとっては悲しみだけれど、ある人にとっては喜びだったりする。それは「泣く」が行われた過程をそれぞれの人が体験したことで得た知識だ。こんな風に、その人の体験が表現を解釈する材料となっているから、人によって解釈が異なるのは当然のこと・・・とは思わないかい?
〔モブ・ノリオによる筒井康隆『ポルノ惑星のサルモネラ人間』(新潮文庫)解説より抜粋〕
そういう頼りない道具を使って頭に浮かんだ形のないものを、他の人にも同じように理解してもらおうとするとき、<過程の部分>も表現することで相手に自分と同じような体験をさせようと努力するって方法もあるんだけれど・・・そういう意図を持って道具が使われるってことを相手も知らなければ、結局伝わらないんだけれどね!
読者の数だけ色々なまーさまが!!
・ ・ ・
妄言はさておき、何ゆえ まーさま ばかり一芸に秀でているのでしょうか。「どうしてお耳が長いの?」の答えはここにあるのか!?・・・そうかっ!!まーさまは月に住んでいるウサギさんだったんだ。餅つきが得意な変わり者だけれど、ホントは寂しがりやさんなのさ!!だから、空を飛ぶ鳥を捕まえようとしてトリモチ仕掛けに奮闘している、そんな、頑張りやでもあるのでしょう・・・ ←(いい加減にしましょう)
さて、相変わらず誤解を招く言動が飛び出すのですが、なんというか、これに対するみみみちゃんの今回の反応から推察するに、彼女は何もかも分かっていて、今まで男性陣から浴びせられる不可解な言葉に対し、そ知らぬふりで受け流していたのだろうか。
台詞はさておき、その後がなんかエロい。
・・・いくら分別ある大人読者(自称)の私でも今回は無視できなかった。いいのか。解釈の方法について学習していないであろう年齢層に発せられている作品だから。別にそういうことを言わんとするわけでもないし。
今回の最素敵ポイントは出だしがみーたん自らの自己紹介で始まる32ページ一番下のコマに右手を差し出してみよう!・・・ほぅら、まーさまでお手気分を味わえるぞ!!
PR
この記事にコメントする