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2017年になりましたね。
イエーイっ!! あけおめ! 今年もよろしく☆
去年は途中からアニキ感想を書けなかったことが心残りで、
・ ベイブレード
・ バーコードファイター(+α)
・ 毎号のカゲウラ(『バディファイト ダークゲーム異伝』)
について語りたいなーって、思ってます。
(宣言しといて、ここ読んでる人いるか知らんけど)
ヌーちゃんとか、ゆーほーくんとか、かわいいのも読んだのにね。
『魔人ヌードル』癒されました。とってもファンシー☆☆☆
この記事はその話題ではなく、
二次創作に関していい加減自分の態度に決着をつけたい。
グズグズ言ってるけど、ほんとにコイツ何に突っかかってるんだっていう
「二次創作」関連なんだけど、ずーっと言ってる。
私だって楽しく何も考えずに好きなように二次創作をしたい気持ちでいっぱいなのに。
これは創作のネタにしたいから考えてるってのと、何で引っかかってるのか自分でも分かってなかったから整理したいってのとあって、前者はまとまるかわかんないけど創作として書く。自己満足の範囲で表現として形にしたいという気持ちがあるので、いつか絶対完成させる(目標)。
あとの引っかかってる原因についてはこれからまとめ。
もうこの件はここで一応決着をつけよう。
今度から心置きなく楽しく好きなように二次創作するし!
他人の二次創作にも何の疑問もなくそれぞれのやり方として鑑賞する!
自由になれる!!! やったーーっ!!!
それにともなってtwitterでも、ぼちぼちなんか言いたい。使いたい。
やっとコツがわかったんだよ。
タイムライン見るの不安なときはプロフィール画面だけ見てればいいんだねっ!
↓↓↓それでは話に興味ある方、どうぞ↓↓↓
┃他人のやり方に口出しするものではない
┃それはお前の好き嫌いである
二次創作は著作権法からいくとグレー。「いろいろ書いてあるけど親告罪だから権利者から警告くるまでは何やったって大丈夫」。権利者のお咎めがない限りは《黙認されている》として節度を持って活動しようってのが大体の二次創作者が心得てることだと思います。
節度って何? ってところはよくわかりません。ガイドラインがあったって大体の人は読み飛ばすとか存在すら知らないこともある。ジャンルによっては自警団があったりもしますが、インターネットは広いので決まりを破る人をしらみつぶしに見つけることは難しい。目にとまらない限りは何やってても大丈夫という状況だから、二次創作による表現作品は色んな考え方や色んな形をしていて、本当に何やったって大丈夫そうな雰囲気です。
結局、親告罪なので権利者がダメといったものが悪い二次創作ということになります。権利者が何も言わない《黙認》しているのに、二次創作者同士が他人の表現のやり方を規制する決まりを設けたり、考え方を押し付けたりするとおかしなことになります。
だから、どういう二次創作は良い/悪いという話はしません。
ファンアートはこうあるべきとか、表現者としてどうありたいか、とかは二次創作者の作品(および作者)と読者の関係の在り方に対する「性癖」のように思います。
たぶん、私の二次創作へのモヤモヤの原因と言うのは「性癖」が関わってくるんじゃないか。これは二次創作とは関係なくて、私自身が生きている間に得た価値観とか持って生まれたものとかがごちゃまぜで個人的な問題です。
┃合意形成すっ飛ばして相手を都合よく扱うのって
┃されたほうはいじめって感じるもんじゃない?
私は他人から一方的に扱われるのが嫌いです。外見から、態度から、私に関連付けられる情報から私と言う人間(ひいては表現)についての推測であったり断定を押し付けられることが嫌なので、極端な話をすると褒め言葉でさえ不快に感じることがあります。
他人から一方的に扱われる機会は生まれてから生きてる間はたくさんある。あだ名だったり、キャラだったり、自分の希望願望好みについても勝手に誤解され決めつけられたりします。喜ばれることが前提で渡されるプレゼントなど。
まるで、都合のよい存在であるように支配するための強要と感じられるのです。
あだ名もキャラも決めつけも交友関係の中では起こりうることで、たぶん相手が認識を改めたり、言い分を聞いてくれるようならば不快ではないのだと思う。あるいは、そのあり方が自分にとって幸せで納得しているならきっと気にならない。
幸せや納得を覚えるには相手への信用が必要で、信用するには言い分を聞いてもらえる、言ってみれば《人間として向き合ってもらえる》かによります。対話が成立してはじめて合意形成できるし、相手を受け入れることができる。
だから、対話が成立せず合意形成も出来ない相手からあだ名やキャラや誤解による決めつけをされても受け入れられないし、まして一方的に押し付けて都合のいいように扱おうなんてのは《いじめ》です。
交友が浅かろうが、くされ縁だろうが親子とか家族とかだって同じです。信用できない相手が都合を押し付けて決めつけてくるなんてのはとんでもない抑圧に感じられます。
┃作者と読者で合意形成できるとは限らないから
┃ストーカーやいじめっこみたいになるのもやむを得ない?
読者は作者を信用しています。
どんなに選んで読んでいたとしても、作品を読まされる立場である読者からすれば言ってること(作品の内容)を聞かなきゃいけない。自分はめっちゃ作者を信用してるんだ! という態度でないと読んでいられません。信用できなくなったら読むのやめます。
そのお返しとして
自分は作品のファンなんだから! 愛があるんだから!
作者がファンの愛を嫌がるわけがないんだから!
読者を受け入れられない人が作品なんて発表しないんだから!
と言う具合に(ここまで激しい言い方じゃないにせよ)読者が作品について言ったりやったりする都合を正当化する。そして、あらゆる押し付けをも愛として許容せよと強要するような行為はストーカーっぽいなぁと思ってる。
*
話が見えてきた人もいると思いますが、二次創作は《読者の一方的な押し付けで作品を都合良く扱う》ところがある。そこに反応してたんだろうな、と。
作品を読んだ人が寄り集まると各々の解釈を話し合ったりすることもあるでしょう。そこで「こういう解釈だと面白い」と面白さを優先して解釈を設定するような都合勝手の良い扱いをしたりする。
あー、酷い!
集団で相手を都合よく扱おうと一方的に解釈を押し付けてる!
と、まるでいじめみたいに見える。私はファン同士で談義して面白い解釈とか設定作ったリとかで作品をいじるのがいじめみたいだー!! って怖かったんですね。(面白さが勝って笑うんだけど)
馬鹿馬鹿しい悩みと言えばそれまでですが、読者が作者の意思をたずねる機会は基本的には作品を通してになります。そして、作品の解釈は読者にゆだねられます。
連載中の作品や作者が存命の場合は質問すれば答えが返ってきて誤解を訂正する機会がないこともない(例:SNS、インタビュー記事 など)ですが、そういった機会を誰もが得られるわけではなく、大抵の作品は発表されたときの形で読者に渡る。
何度作品を読んでも「返事はない」ので読者が独自に解釈することになる。それはいつまでたっても「読者の一方的な押し付け」になります。意図を汲めたかどうかは、学校で勉強する国語のように正解の解釈が設定されている場合でない限りはっきりしないことです。
そもそも作品を読むなんて一方的な解釈を押しつけることなんです。
一方的に決めつけるんです。
もし一方的に解釈を押し付けられたくなかったら作者は何らかの行動をとるでしょう。あるいは、決めつけられたくないという気持ちがあっても時間とか体力とかお金の問題とか色々割りに合わないとかで表現方法の限界として許容せざるを得ない。
作品は人間と違って返事をすることはできませんから。
*
といううわけで、作品と人間は違うんです。
何をいまさらって感じですが。
対話が可能の人間同士であれば誤解の訂正も可能かもしれない、もっと理解し合えるかもしれない。一方的に押し付けられることへの不快感を解消できるんじゃないか、と思える。対話によって信用できる関係を作っていきます。
けれど、作品を挟む場合、作者は読者に一方的に作品を押し付けるし、読者は作品を都合よく解釈します。作品を通して語り合うなんていうのは理解し合うための方法には向きません。この関係において読者・作者、双方が互いに向ける信用は、一方的に押し付けることを許容されることによって得られるもののように思える。
ようするに、対話でやり取りする場合と作品を挟んでやり取りする場合とでは関係性を築く作法が違うんじゃないか、ということです。
┃読者は作家の意図を汲む従順な僕であれ、
┃なんてのはその人の『性癖』ですからね!
作者の意図が汲めたかどうかは、作者自身が正解だと言わない限りはっきりしません。作者は解釈をある程度限定する工夫を施していますが、読者がその工夫に気づくとは限りません。(そもそも、設定していないこともあるっぽい)
作品は返事ができない。読者は意図を必ずしも理解できるわけではないし、解釈を押し付けるのはやむを得ない。
しかし、世の中には「作者の意図がーっ!!」にこだわる読者がいます。
私のことです。
意図を汲む努力をするのが正しい読者の態度だと信じて疑いませんでした。いじめっこになりたくなかったし、ストーカーにもなりたくなかったからです。一方的に押し付けて都合よく扱われるのは不愉快なことだから、出来るだけ話を聞こう。愛を理由になんでもやっていいなんて思わないようにしよう、と。(※)
でも、どうやら
これは普遍的な正しさと言うよりは単なる性癖じゃないかと思えてきました。
だって、基本的に作品は読者が一方的に解釈を押し付けることしかできないのだから、どんな解釈をしたっていい。第一、最後まで話聞いた私偉いじゃん? ――だったら、都合よく扱ったほうが感情的に収まり良いしお得じゃんね!
もし、笑える作品だって思いたかったら笑える解釈をするでしょう。
腹の立つ作品だって思いたかったら腹の立つ解釈をするでしょう。
悲しく切ない作品だって思いたかったら悲しく切ない解釈をするでしょう。
作者が何考えているかは実はよくわかんなくてモヤモヤするなら、確かなことである自分の意思決定として感じ考えたことを優先したほうが、たぶんずっとスッキリするんじゃないか。
そんなふうに自分が感じ考えたような作品であると自身の認識の範囲で決定して楽しむぐらいが神経擦り減らない。能動的でいられるし、自分の能力に肯定的でいられる。なによりとっても自分を大切にしている感じがする!
せっかく言い返してこない相手なんだし!
それでも、やっぱり「作者の意図がー!」を言い続けたいなら、モヤモヤとあーでもないこーでもないするのをトコトン楽しめばいいとも思う。下手な鉄砲でも数撃ちゃ当たります。
※ どういう態度でいようと作品を介すやりとりの性質上、読者がやることは大体同じです。
┃盗め! はずせ! 上書きしろ!
┃今までそうやってきたし、されてきたことじゃないか!
読者は作品の解釈の決定権を持ち、作品について支配的に振る舞うことができる。しかし、作品には作者の意図の存在が仄めかされており、それを読み取ろうとする限り、読者は作者に支配されることになる。
そんな話を最後にして、二次創作の話を終わりにしようと思います。
*
先日、twitterを見ていたら男性の描いた〈往来で媚態を晒す全裸の美人痴女〉のイラストを「女性の性の抑圧からの解放」ととらえ肯定する女性がリツイートしていた。
これに、
「女性の性の抑圧からの解放を意図したものではない。男性が自分にとって都合の良い妄想を表現したものだから、女性への抑圧にしかなり得ない。肯定して広めては男性にとって都合がいいだけだ」と別の女性は反論し〈往来で媚態を晒す全裸の美人痴女〉のような表象は人目につくところに流布されるべきではないと言う。
*
確かに、もともとは作者に都合の良い妄想を表現したものだったのかもしれない。
けれど、受け手によってその人の都合に沿うものに書き換え(読み変え)たことが広まっても、作者の意図にそぐわないという点で必ずしも作者(と、同じ趣向をもつ人)にばかり都合が良い訳じゃない。
都合が良いとすれば、作者が表象を現存させ続けたい場合で、意図(都合を叶える妄想)が他者から断罪されやすい類のものほど曲解されたほうが受け入れられたり、表現物の内包する可能性の一つとして本来の意図を広く流布できる。
そのような形で流布された場合、大衆にとっては当たり障りのない解釈のほうが都合が良く受け入れやすいので、本来の意図のほうは許容されない願望であるとして「邪道の解釈」にだってなり得るし、そうなったら作者はきっと寂しい思いをするでしょう。
たとえ作者の意図の存在が仄めかされていたとしても、それを読み取らなければ‟作者(あるいはそこに同調する人)の都合”などというものに囚われることはないのではないか。伝達手段として不明瞭であり意図や意味を断定的に言い切ってはいない。それならば、作者にしろ一部の受け手の言ったことにしろ絶対のものとして固定すべきではなくて、作品自体はその抽象性を保つべきではないか。
もし、意味が固定され断定されてしまったら、それは解釈に支配された作品だし、他者を支配する作品ということになってしまう。
作品が表現したものが、実態がない、抽象的である、架空の想像による産物である限りは、色んな表象が許容されたほうが救われる人がたくさんいるように思える。なにせ、一方的に押し付けるし一方的に解釈していれば、表現を許容された作者はもちろん自身を肯定する意味を見出せた読者だって嬉しい。
なので、なるべく特定の表象を消さないためには、受け手が《作品を許容できる都合の良い解釈》を見出して、作者の意図を無視したほうがいい。……たぶん、現存し続けてれば作者と気の合う人はそのうち現れる。
だから、
盗め! はずせ! 上書きしろ!
今までそうやってきたし、されてきたことじゃないか!
そうして、表現者の都合とやらを踏みにじれっ!
表現物の内側に押し込めてしまえばいいっ!!!
ということで、
作品は人間じゃないから都合を押し付けたって良いと思う。
同調したくなるような作品に出会ったら作者の僕になればいいでしょう。
従いたくないなら勝手気ままにあしらえばいいんだし。
意図に魅力を覚えるような作品と出会ってその僕になりたい! みたいのは性癖だから、他の人に作品との向き合い方として強要していいものじゃありません。絶対にやめよう。逆に、魅力を覚えた作品を都合勝手よく支配するなんてのも性癖だと思う。……たぶん、これSMの世界ですよね。加減を誤ると死ぬぞ! 殺すな! イかせっっっ!!!
――ということで以上です。
最後まで読む人いないと思ってるので最後のほう酷いけど。
……いいよね。……うん。
もし読んでくれた人がいたら、お疲れさまでした。m(_ _)m