深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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私の中で田房永子さんが熱い。
テーマも興味深いのだけど、発言の炎上しそうな書きっぷりがスリリング! 共感し賛同する読者、意見に真っ向から怒る読者、主張は理解したけどやり方が気になるという読者……
親との関係で心身病んでいたことに由来し、その呪詛ゆえの容姿を改善するため各種セラピーに通って自己啓発した経験をダイエットとして語ったり、娘の立場で母親をしんどいと言ったかと思えば、子を産んだらママだって人間だとその立場を語り、男性の性的関心の発露に嫌悪をもちつつ男性向けエロライターをやっていた経歴があり、そのこと自体をネタにして男性の性的関心を叩いたり、でも自身の女性から男性に向ける性的関心は気持ち悪いぐらいの筆致で語る……
そりゃー見てて痛いし、本人も痛かっただろうし、それでもさらに叩かれるだろう! みたいな。なりふり構わないけれど、自分の感じてること、とりわけ痛みについて同じように痛がっている人のことが見えなくなるのを避けるためなら死ねる、いや生きる! ぐらいのふてぶてしい勢いで発言するスタイルはいっそ清々しい。面白いなーって思う。
・ 女子中高生に固執する成人男性たち[15.10.21]
――見られることに恐怖する女の思考を語りつつ、実際観察した少女をネタにイラストを描くA氏などを例に合法という安全なところから女の恐怖心を無視してでも見ようとする男の卑怯な賭けごとを怒る。
・ どぶろっくと痴漢の関係[14.08.19]
――痴漢の「相手が自分の世界に入ってきた」というマインドについて、どぶろっくのネタから理解のヒントを得たことを語りつつ社会全体および女子中高生の「女性に対しての侮辱」への関心意識の低さに警鐘を鳴らす。
という記事(要約:私)が、話題になったのをみたことがある。A氏の表現の自由や、ネタとして笑いにしてるどぶろっくの仕事ぶりを槍玉にあげていることが個人への糾弾ではないかと言う人や、「見られたぐらいで性的に侮辱されたみたいに言うのどうなの?」と思想の自由を侵すとして批判している人、田房さん自身の男性への性的眼差しの発露に関して自分を棚に上げているという人などがいた。
テーマも興味深いのだけど、発言の炎上しそうな書きっぷりがスリリング! 共感し賛同する読者、意見に真っ向から怒る読者、主張は理解したけどやり方が気になるという読者……
親との関係で心身病んでいたことに由来し、その呪詛ゆえの容姿を改善するため各種セラピーに通って自己啓発した経験をダイエットとして語ったり、娘の立場で母親をしんどいと言ったかと思えば、子を産んだらママだって人間だとその立場を語り、男性の性的関心の発露に嫌悪をもちつつ男性向けエロライターをやっていた経歴があり、そのこと自体をネタにして男性の性的関心を叩いたり、でも自身の女性から男性に向ける性的関心は気持ち悪いぐらいの筆致で語る……
そりゃー見てて痛いし、本人も痛かっただろうし、それでもさらに叩かれるだろう! みたいな。なりふり構わないけれど、自分の感じてること、とりわけ痛みについて同じように痛がっている人のことが見えなくなるのを避けるためなら死ねる、いや生きる! ぐらいのふてぶてしい勢いで発言するスタイルはいっそ清々しい。面白いなーって思う。
・ 女子中高生に固執する成人男性たち[15.10.21]
――見られることに恐怖する女の思考を語りつつ、実際観察した少女をネタにイラストを描くA氏などを例に合法という安全なところから女の恐怖心を無視してでも見ようとする男の卑怯な賭けごとを怒る。
・ どぶろっくと痴漢の関係[14.08.19]
――痴漢の「相手が自分の世界に入ってきた」というマインドについて、どぶろっくのネタから理解のヒントを得たことを語りつつ社会全体および女子中高生の「女性に対しての侮辱」への関心意識の低さに警鐘を鳴らす。
という記事(要約:私)が、話題になったのをみたことがある。A氏の表現の自由や、ネタとして笑いにしてるどぶろっくの仕事ぶりを槍玉にあげていることが個人への糾弾ではないかと言う人や、「見られたぐらいで性的に侮辱されたみたいに言うのどうなの?」と思想の自由を侵すとして批判している人、田房さん自身の男性への性的眼差しの発露に関して自分を棚に上げているという人などがいた。
● 表現規制、思想弾圧ではない
“A氏は、絶対、じーーーーっと見てる……「元痴漢加害者」になった人に話を聞いた……「見る」という行為は、まず第一歩だと思う。いきなり触ったりなんだりしてるわけじゃない……自分は犯罪者ではない、というところが彼らの行動についてとても重要……女子中高生のほとんどが自分らに、害虫的な気味悪さ・唐突さ・迷惑さしか感じないということに、全く気付いてないはずないと思う。だけどないことにして……近づく”こういう書き方なので、合法性を盾に女子中高生の感じてる嫌悪を無視するのは卑劣な行いであり、A氏またそのように見てくる人たちは痴漢予備軍だといって叩いているようにとれる。どぶろっくの発想はほぼ痴漢加害者そのものだという誤解を与えそうなところは私的に問題がある書き方だと思う。
“どぶろっくは痴漢加害者の発想をとても的確に表現し、分かりやすくまとめているので、中高生向けに教材として使って「痴漢はこういう心理でいる場合が多い」ということを教えて欲しい”
一年ぐらい前は、たしかにどぶろっくの笑いが受け入れられることに疑問を呈している。
“どぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは、痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れ……「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力は存在しないことが前提になっている。同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のものと認識されていて、観ている人たちの中で、まったくつながっていない”どぶろっくというよりも観ている人たちの非を問うていて、現実の被害への認識がなく、つながらない。そんなふうに、関係者にとって痴漢行為と受け取れる思想を許容し、非現実に押しこめ、笑える芸になること自体あるべきでない、というようなことを言っていた。
でも最近の田房さんは、
“書くことやそれをネットにアップすること、10代以下の女子にときめく気持ち自体を、私は否定したいわけではない。このようなアカウントを断罪せよという話にはしたくない。”と近づく、見るなど直接の行為で女子中高生から嫌悪の意思表示をされた場合、彼女たちは男から見られるとキモがる性質の生きものとして対応したり、自分の思い描くシチュエーションを一方的に押し付けるんでなく、自分の行動を顧みて改める分別を持ってほしいと言っている。
“「あなたは行きすぎた行動をしている、やめてほしい」というメッセージを込めた態度で「あ、俺、なんか気持ち悪かったかな」と気付いて改めてくれればいい”
かといって、表現やそれが包含する気持ちは否定しない。
どぶろっくの頃と比べれば、表現や思想(気持ちあるいはネタ)を許容するご意見のように思う。何か見てくる奴が意味不明で気に食わないから「断罪せよ」「否定する」という意見ではないだろう。
見られる側の意見として、じーっと見てくる人はこう見えている、とただただ言いたいのだと思う。
● 意見をいうことの肯定/存在を許されない女はいない
“「電車内痴漢は手の甲なら無罪」……それは加害者側の、そしてそれを裁く側のルールである。被害者側からしたら、ひらだろうが甲だろうが、「本来、安全に乗って過ごせる電車内で気持ち悪い、怖い思いをさせられる(保有する安全、安心を盗まれる)」ということが被害……しかしA氏のような人たちは、自分の言動をセーブする基準を「法律」に設定しているので、当の女子中高生が自分の言動に対して何を感じ、どう思っているかについて思いを巡らすことがガッポリ抜けている。”見られているということは安全を脅かされているということ、みたいに書いてある。たしかに「大袈裟じゃない?」と言いたくなる。……見てくる彼らが<被害者側はなぜ被害と感じるか?>を考えられるなら、それを基準に行動できたのではないか、というご意見ですが。
極端な話、レイプ犯にゴムつけてくださいとお願いするぐらい、他力本願なように思える。見てくる彼らの責任問題のみに費やすぐらいなら、自分が強くなったり、助けてくれる味方をふやす方が早い。行為をする側を啓蒙するだけでは<被害者>を減らすのにも助かるのにもきっとあまり役に立たない。
ゆえに、女性の権利向上とか痴漢被害撲滅を大義とする意見で読むと首を傾げたくなる。「こうだから嫌なんです」と言っているだけだ。ただ、腹の立つ男性を嫌悪している、女性を描く表現者男性を非難してる。そういう文章に読める。
……でも、少なからず、見られる側の意見として、じーっと見てくる人に太刀打ちできず、安全を脅かされているように思っているけど「大袈裟じゃない?」を返されるのが怖くて意見が言えないという人もいる。そういう人の意見は可視化されにくいんじゃないか。
その人たちが拠り所として共感できる意見があっても良いんじゃないかとは思うのだけれど。
“「男のくだらなさ」にあからさまにウンザリするおばあちゃん、という淡谷のり子的立場の人が見当たらない……テレビやマスメディアに、淡谷のり子的存在がいないことが不満なんです”たぶん、そういうポジションを目指しているのだと思う。とにかく男の行いに文句を言う、男にとって価値のない、ウザい中年女という存在として目立つところにいよう、みたいな。文句を言おう、感情移入できる対象になろう、気持ちを受け止めて抱擁しよう、というなんかすごいポジションですが。
――【 前編】これは「ギャグ」じゃない、「ドキュメント」だ!
“オバチャンになってしまえば、男からの汚らしい羨望すら受けることなく、突然“価値のないもの”として無視される。……中年のオバチャンが出てこない……結局、男が救いたい女しか救われない映画じゃないの”
――「マッドマックス 怒りのデスロード」には中年のオバチャンが出てこない
“忘れがちな忘れてはいけない何か、を教えてくれる国民的権力者、それは女でなければいけないと思うのだが、そういったアニメに出てくる村の裏ボス「長老おばあちゃん」的存在がいない……エライ男たちに向かって女の尊敬のしかたを教える「長老おばあちゃん」”
――自意識過剰で被害妄想な女は笑ってよい
(私的にそうなのかなーと思ってるだけですが)
どぶろっくにしろ、女子中高生を見る人のことにしろ、引っ張ってきた色んな記事で田房さんの言ってることは絶対の正義ではないと思う。論理の飛躍や行動の得体の知れなさと、対象の叩きっぷりが公正でなさそうなのに、一定の層の支持を集める威力がある。男の立場を転覆させる恐怖のように思える。女も、他のいろんな性も、自分の主張する立場についてこれといって有益な提案をする意見でもなく「ただ文句をいうだけだから思考停止しそうで邪魔だなー」みたいに思えるかもしれない。
田房さんの目指していると思われるポジションは従来通りの男の価値観によって相対的に登場する。男の行いにただただ文句を言う、男にとって無視したい、魅力的でない、ウザい中年女という立場。それでも、わざわざ男の見えるところで意見を言う人って面白いんじゃないか。
男に魅力的でない(女性的魅力に関連するコンプレクスを競合相手として刺激しにくい)、ひたすら男に文句を言うだけ(でも、性的眼差しをむける)の、女のためにいるような存在に癒されて 気力を取り戻したいときってあるよ!
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