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深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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おひさしぶりです。
アニキをまだ買ってないけれど、電子書籍版を絶対買う!
雑誌置く場所ないから、アンケートなどもろもろ参加できない電子書籍版を買う!

……ハガキ出してもいないくせに言うのもあれだけど。そう! もし何かのきっかけで勢いが奮い立ってペンを握ろうとしたとき、そこに選択肢がないってのは、ちょっぴりさみしい……。もしかすると、メールで意見寄せるみたいな方法はあったりするのかしら(確実絶対は思い立ったときに紙の本を買えばよいのでしょう) 今度調べてみるー。

 *

最近ほんとうに文章を書く頭が劣化している。他人に何かを伝えるということについての集中力が持たない。その機能をつかさどる脳神経が死滅したんじゃないかと思えるぐらいに、相手のことをなにも考えられない。感情が先走る。文章の量とか、言いたい情報の取捨選択とか、できない。組み立てられない。それでも、無駄になんか言いたい! って焦るばかりで、その作業をやろうとすると落ち着かず頭の中がざわざわなる。春かしら。

そうして雑音の多いもんを聞かされている相手が眉を寄せて唸っているか、苦笑いを浮かべているところなんかが思い浮かんで、なんだか悲しい気がします。気がするだけですが。そういうの、とてもイタタまれない。ゴメンねって無駄に謝る。

なんて愚痴から入ってあれだけれど、近況についてをお断りしつつ
手元にあった【二次創作について考えたこと】なるメモをここに貼っておきます。
(以前、twitterに小出ししたことがあったかもしれない)

突然宣言しますが、私は今年度はファン同士の交流を控えめにしようと思っておりまして
……もともと、盛んなほうではないですが。

まじめな話、私は比較的自閉傾向の強い人間なので、他人に応対することに並々ならぬストレスを感じます。調子が悪いと寝込みがちになるっていうか、いままさに寝込みがちです。もろもろの要因があってですが、他人様に迷惑がかかるような奇天烈な対応とか、自分本来のパフォーマンスでの思考ができなくなったり、します。

身勝手なことをいえば、私の意図が相手に伝わらず、自己嫌悪に陥り、自暴自棄になって、他人への攻撃性が前面に出てきて、とてつもなく不愉快になる。だから、とりあえず落ち着こう! ということです。

わがままでしかないことだけれど、理解してない人が許容の態度だけ示してくれても肩透かしくらってる感じだし、逆に、理解されてる手ごたえはあっても許容できませんって拒絶されるのは虚しいし、理解もできないし許容も無理だから我が道を行くことにした宣言されちゃうと、私なんで今までコイツとしゃべってたんだろ? ってなるし。そういう、さみしいのに耐えられないから交流は控えます。

……そんな感じで、

交流無理だけど、交流したかったっていう気持ちだけは言いたかったので、
反省もこめた、二次創作表現に関して考えたことを脈絡なく書き留めたメモをば。

拍手


* * *


【二次創作について考えたこと】

「わざぼー」「わざぐぅ」連載期間は私が二次創作を考えるのにベストのタイミングでした。読むことについて学校で専攻した程度の技術(…;)や、そこそこの表現ができる自信があったのに加えて勢いもやる気もあった。とても元気がありました。なにより作品が面白かった。刺激的で色々考えたくなることが描かれているって思った。
 これまで漠然と感じていた二次創作に関わるもろもろのことへの嫌悪感について考える良い機会。自分なりに納得して、もう怖くないぞ! と言おう!! ……を目標の一つにしながらこれまで活動してきました。



〇 二次創作作品が信じられない

私は他人のやることを素直に認められない疑り深い人間で、はじめて見たとき「すごい」「面白い」と思っても、「でも、これって何のためにやっているんだろう?」「何か問題があるんじゃないの?」と考え、結局「怪しいもの」というふうに保留ないしは拒絶してきました。

二次創作も同じで、自分だってやってるくせに、他人の表現には「一体、何のためにやっているんだろう?」とケチをつけていた。

しかし、「何のため」は取り組んでるその人が達成したいことで、邪魔が入っては困るから大っぴらにしないものだろう。理解ある他者の協力が絶対必要で人を集めたいということでない限りむやみに人には言わないものではないか。にもかかわらず、純粋に知りたいというより、はじめから不信感を持って相手に問うのは敵意をむき出しにしているようなものだ。

また、誰だって原作を楽しんでいることを表現しているのは同じなのだから、この人はこういうふうに表現するんだね、と頷いていればいいし、「楽しいね」と返せば済むことだった。

誰もが自分の「楽しいよ!」を言っているだけ、ということにどうして今まで思い当たらなかったんだろう……ね(--;



〇 ファンコミュニティが怖い

さらに、私は二次創作で繋がっているファンコミュニティを不審に思っていました。
なぜ群れようとするのかわからなかったからです。

コミュニティ内で共有・支持されているCPだの独自の設定だのいうものが脅威でした。集団のなかで行われているであろうそれらについての派閥争いや思想統制などの相互圧力によって、個人各々が直接読んで感じた原作の楽しさを封殺しようとしているのではないか。

積極的に他のファンと知り合いになろうとしたり、作品を宣伝するのは、作品についての理想が近い者と共謀して、原作を自分たちの元に奪取するための組織を作ろうという思惑が原動力になっているんじゃないか。

ようするに、群れようという人たちは、たった一個しかない原作を自分にとって理想のものに塗りかえるために「ファン同士の共通理解」などという名目で〈他人と共謀することによって〉実現しようとしている、と信じて疑いませんでした。

だから、私はそんなことに加担させられたくなかった。まるで、その一味であるかのように「クラスタ」という呼称で呼ばれるのは不快だったし、「クラスタの人どこ?」を聞くたびに戦慄を覚えていました。(いまはその言葉に他意はないと納得しているので、杞憂でしかない恐怖心であったと思う)

なぜ群れるのか……
未だ答えが出ていないことです。

とりあえず、そういった疑念はまったくの思い違いで、
むやみに固くなったり批判的になっていた態度を反省しています。



〇 独自の解釈を表現すること、考察と研究の違い

私は、二次創作というのは作品を読んだ人が作品からどんな印象をもったかというイメージを独自に再構成し、絵とか文とか音とかにして表現するものだと思っている。

「自分はこの作品を読んでいてこういうイメージを持った、そこからいくと、こんな展開になるのが楽しそうだと思う」というのが語りだったり、二次創作物だと思うし、原作とは独立して二次創作者の感性考え方に従った作品になってて、それがまっすぐ表現されているものをみるとカッコイイって思う。

原作っていう1個のものから色んな人が色んなイメージを持っているのが分かるのが他のファンの作品とか語りを読む楽しさだと思っている。みんな受け取り方は違うんだな、と。「どうしてこうなった」っていうのを、全然捉え方の違う自分でも理解できる形になったものを見ると嬉しい。視野が広がった感じがする。

描かれていることは共有しているものだ。個人個人はそこからイメージ(描かれていることから抱いた印象・解釈)を膨らませる。気を付けたいのは、描かれていないことをあたかも描いてあったかのように〈考察〉として言うときで、そこには誤解や妄想が含まれる場合がある。

誤解、妄想といわれないために色々な証拠を集めてきて、なぜそのような解釈に至ったかを説明することにより他人につっこませないための努力をするのが〈研究〉。(ただし、他人の考え方を理解しない人には無意味)



〇 研究は決して「原作どおり」ではない

どうやっても、原作に直接触れる他は「原作通り」「原作そのもの」なものはない。

だから肝に銘じておきたいことは、「何を描こうと思ったか」は作者しか知り得ないということ。読者個人が注目した部分を、作者も同様に注意深く重要なこととして扱っていない場合もあるから、内容を検討するような研究をする人は「何を描いてるように読めるか」を説明しながらまとめるしかないのよね。

他人の解釈(考察あるいは研究も含む)に関して「原作と違う」を指摘したいなら、何がどのように違うのか。客観的に比べてみるべきで、そのために自分でまとめた作品の梗概と自分の解釈とを持ってきて説明してほしい。

また、「原作にあること」は何かを解釈を含めずに確認しておくべきだ。そのあたりのことがはっきりわかっているほうが、独自の解釈によって創作した部分を浮き彫りにできると思う。それは「原作にはない」ものだ。



〇 作品への取り組み方は色々!

 ファン同士の会話では色んな方向から色んなことをいってることがあるけど、〈自分(や他人)が作品から受けたイメージについて語りたい(語り合いたい)〉人と、〈作者が書いていることを整理し論理立てて納得したい〉人といると思う。衝突して話がかみ合わないまま他方を排除する争いになるのは嫌だ。

 スタンスが違うことに気づけば、争いを避けられる場合もあると思う。好き嫌いはあるけど、どっちの読み方/楽しみ方が正しいか間違ってるかとかはない。「自分が」楽しいと思えるやり方をしてとことん楽しめれば良かったのになぁ……。

 ……作品を楽しむ方法は色々と思うし、そこに上下はない。ただ誰に向けて自分が「楽しんでいる!」と表現しているかを自覚しない二次創作をしていると後々苦悩するというのが本格的に活動した4年間で得た反省でした。



〇 ひねくれた研究

〈作者が書いていることを整理し論理立てて納得した〉事こそが〈原作そのもの〉だとは考えていないし、書いてあることを検討した〈研究〉だって絶対じゃない。

解釈の対立する人からすれば誤読と指摘できるし、作者の思想に触れず検討もせず、自分の感じ方、考え方だけで論を展開する人とかもいる(それで「作者は間違っている」「作品はとるに足りないもの」とバッサリ言う人もいる)。研究のやり方は色々。納得させられる論文もあればそうじゃないものもある。

〈作者が書いていることを整理し論理立てて納得した〉ものも〈個人のイメージ〉でしかないけど、それをどうにか共有したい(納得されたい)という欲求が強いから私は研究みたいなことをしている。原作と別個であることをあきらめていないところが二次創作の表現方法としてはまっすぐではないって思う。
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