[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
※ 別のブログに書いた記事の転載です。
※ 2014年7月号● わざぐぅ! の感想を書くために掲載。
※ 今見ると、なんてまとまった文章なんだ! ってびっくりする。
※ しかし、書きなおしたのでした。(2014.6/1)
・・・ ぜんっぜん、わざぐぅ! には触れてない金太郎について調べたレポートです。
書くこと決まってるのに、書き進んでないっていうのが申し訳ないですm(_ _)m
感想記事は今月中に書きあげる! 絶対に書く! 絵は遅刻するかもだけど文章は書く!
ということで、書きあがるまでこちらの記事を暇つぶしにどぞ!
( こっち(ブログ内記事) もあわせて読むと大体今回書こうとしてる記事になるんだけど、
( これは文章が酷い。直したい。
[ 参考文献 ]
A 高橋正秀 『高橋正秀著作集 7 金太郎誕生譚』(桜楓社)1971
B 若尾五雄 『鬼伝説の研究―金工史の視点から』(大和書房)1981.3
C 柴田弘武 『おばけと物語』(現代書館)1986.7
D 今野信夫 『だから歴史はおもしろい』(彩流社)1990.4
E 金太郎・山姥伝説地調査グループ
『金太郎伝説―謎ときと全国の伝承地ガイド』(夢工房)2000.8
F くもん子ども研究所 『浮世絵に見る江戸の子どもたち』(小学館)2000.11
G 鳥居フミ子 『遊学叢書 21 金太郎の誕生』(勉誠出版)2002.1
H 石井正己 『図説 日本の昔話』(河出書房新社)2003.7
I 西川照子 『別冊太陽 カタリの世界―昔話と伝奇伝承』(平凡社)2004.6
読んだ/読んでいる本をとりあえずメモっておく。
興味を持った<昔話と製鉄の関連> を調べるにあたり、柳田国男の『一つ目小僧その他』 を読んだほうがいいんだろうな、とぼんやり思ったものの億劫だ;
* * *
金太郎はどこから発生したのか?モデルはいるのか?いったい何をいわんとした物語なのか?そういった疑問は文学と民俗学の方面で研究されてきた。(上記参考文献参照)
いまに伝わる金太郎の物語および、キャラクター造形は江戸の大衆芸能や文学、浮世絵、民間信仰によってなりたっていったようだ。
● 民俗学的にみた金太郎
さきに民俗学の分野に詳しい民間信仰のほうを整理しておこう。 なんか全然触ったことのないジャンルのことで、どうしたらいいのかよくわからないのだけれど。昔話・伝説・神話のようなものは人間が周囲の物象(たとえば自然現象や職業など)に感じたイメージから発想を広げてキャラクターを造型したり、彼らを使ったストーリーを仕立てているみたい?(-"-)
“金太郎って天目一箇神をベースにしてるのではないか?”という説がある〔※ 参考→A・I〕
天目一箇神って誰だ? ―― 名前の通り<目が一つ>の<製鉄>の神さまらしい。製鉄技術者の火を扱い、石から鉄を作り出すという行為が人々から神秘的と捉えられた。これと神の所業が結びつけられて、彼らを"神”の造形のモデルにしたものじゃないかと言われている。〔※ 参考→C〕
目が一つとは鍛冶師の職業病の特徴である。火の色を見るため強い光にさらされて目を悪くしてしまう。(ウィキペディアには、職業病ではなく、作業の際片目を瞑るのがその由来ではないかという説もあげられている)
全国的でないにせよ1つ目の金太郎話があったり、頭の天辺の剃りが1つ目の象徴じゃないかといわれている[※ 参考→E ・・・・ だったはず もう一度調べてきます;] 。 それじゃあ、“金太郎”って鍛冶を司る神なのか? というと私はいまいちピンとこない。高橋正秀は金太郎の造型から以下のようなことを読み取ったらしい。
「金時[注・金太郎] の物語が、実に日神にして雷神であり、同時に火神にして鍛冶の神でもある――しかも黄金の御正体とも伝へられる宇佐八幡の信仰に関係するらしいことを、朧げながら推知し得たからである。」 〔A〕
・・・ “黄金の御正体とも伝へられる宇佐八幡の信仰” って何だ? という疑問はとりあえずおいて、つまり、何かそういった信仰のイメージ(神)から“金時(金太郎)”という人物の造型が為されていったのではないか、とおっしゃられている。
天目一箇神・日神・火神・鍛冶の神。なにやら神っぽさを大量に盛り込まれているらしい“金太郎”。
民俗学がそういった要素をみとめた “金太郎”の造型
・ 赤蛇と山姥の子 ・ 山に暮らす ・ 体が赤い
・ 怪力の子ども ・ 童髪 ・ 鉞を携えている
・ 源頼光に召し上げられて酒呑童子、土蜘蛛などの討伐に参加した
これははじめから備わっていたわけではない。また、成立の過程がわからない伝説・民話・昔話 などと異なり、“金太郎” は江戸の大衆文化のなかで醸造されていったという過程が残っている。
● 文学における金太郎
文学研究では、主に紙に文字で記録されたものを扱う。残存しているものを成立年代順で追って内容を検討することで、金太郎の造形や物語の移り変わりを見ることができる。これは参考文献Gに詳細な研究がまとめられているので、そちらを参照されたい。ここには、そこにあったことをかいつまんで書き付けておく。
まず、"金太郎”は“源頼光四天王の一人・金時” を原型とするとされる。“金時” の文芸上の初出は『今昔物語集』 (1120年頃) 。後、『古今著聞集』 (1254年) 御伽草子「酒呑童子」 (1336年) などに頼光一行の山賊や鬼退治のエピソードが記されている。 当初は頼光の一部下という位置づけだったけれど、イメージが膨らみ、作り足されていき現在伝わる造型になったらしい。その軌跡が江戸の文化(芸能・文芸・絵画) の中に表れている。それら作者たちは、民間伝承や信仰を材に取り入れたりもしたようである。
そうして出来上がった金太郎のイメージが、各地につたわる伝説・昔話・神話などと重ねあわされて、土地独自の様々な金太郎の物語が存在するようである。
* * *
↓ 以下は、まとめじゃなくて感想です。
調べてみて、私が興味深かく感じたのは、人間の創造力は自分たちのもつ信仰からイメージを借用しているだけなんじゃないか、という点。そういった裏づけを“金太郎” から得られたように思う。 しかし、民俗学での指摘のように“金太郎” が日神、雷神、鍛冶の神の性質を持ち合わせていたとして、果たして金太郎の誕生は信仰を意図したものだったか?金太郎を神として崇めるため、そういった造型がされたか?といえば、そうではなかっと思う。
文芸においては、もっと下世話な動機で行なわれたんじゃないか。商売が絡んでくるので、人目を惹く魅力的なものを作るため、「スゴイ奴といえば“神”じゃん?」 みたいな。とにかくスゴイ奴のイメージをコレでもかと盛り込んだら神話をおもわせる“金太郎”になったんじゃなかったかな?
なんだかんだで、馴染みのある物語がみんな大好きなんだ!
とまれ、“金太郎” ってかわいい。古代の神さまより親しみやすい。文化のなかで形作られてきた軌跡を辿るほどに見えてくる、みんなで育ててきた感!
・・・ちなみに、割とどうでもいい話だけれど、金太郎の母上“山姥” は老婆とか鬼の形相ではなくて美人な母ちゃんとして描かれる場合が多いのだけれど、これは大体歌麿のせいらしい。風紀を乱すとして美人画が禁止された際に、役人の目を逃れるため金太郎親子を画題にし母親の山姥を美人に描いたのが後の世に影響したとか〔※ 参考→G〕
神がかったスーパーヒーロー。
母ちゃんは美人。
みんなの理想を詰め込んだ夢のあるキャラクターだと思うよ。