深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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※ この記事は12月31日に投稿したものですが、追加テキスト以降を加筆・再投稿しました。
2014年も終わるぜ! イエェーイっ!!
感想が書き終わらないぜ! いぇーい・・・!
今年中に言ってしまいたいことを冒頭で先に言っておく
みみみちゃんのフェードアウトの仕方が不安すぎます。
最後の戦いが終わったあとに墓とか建ってそうでやだなぁ。
「俺の屍を越えて行け」 的な?
・・・ いやいやいや! そんなの言葉の上だけで十分だYO!
いっそ“わざぼー使い” みんな死んでましたぐらいのことなら諦めもつくんだけど、そんな道連れまーさまじゃあるまいし誰も望まねーよぉ!! うわーーーんっ!
とりあえず、今回の話で私はみみみちゃんにジョリバ(イデオン) とあだ名をつけました。
2014年も終わるぜ! イエェーイっ!!
感想が書き終わらないぜ! いぇーい・・・!
今年中に言ってしまいたいことを冒頭で先に言っておく
みみみちゃんのフェードアウトの仕方が不安すぎます。
最後の戦いが終わったあとに墓とか建ってそうでやだなぁ。
「俺の屍を越えて行け」 的な?
・・・ いやいやいや! そんなの言葉の上だけで十分だYO!
いっそ“わざぼー使い” みんな死んでましたぐらいのことなら諦めもつくんだけど、そんな道連れまーさまじゃあるまいし誰も望まねーよぉ!! うわーーーんっ!
とりあえず、今回の話で私はみみみちゃんにジョリバ(イデオン) とあだ名をつけました。
* * *
あのデザイン
仲良きことは美しきかな。
技々姉弟はけんかをするが、いがみ合ってはいない。ももタローくんはみみみちゃんを慕い、みみみちゃんはももタローくんを励ます。そのキモチをまっすぐに伝えることができるし、受け止めることもできる。そんな信頼関係はなかなか得難いものなんだな。〔世の中に不信感を抱くアラサー女性・談〕
どうすれば信用できるんだ!
信用するとは、<願い> というかたちで人に託すことなのかもしれない。<そうなれ> と命令したり決めつけたりしても主観と空想を押し付けているだけだ。<それ> は現実じゃない。思ったことと違くって裏切られたなんて思ってはいけないよ!
決めつけることはできなくても<そうあって欲しい> と願うことはできる。だから、我々は願いを伝える。どうなるかはわからないけれど一応祈るのだ。もしも、それが叶えられた日には相手への信頼度が急上昇するね☆
届けこの想いよ 夜空は君への滑走路・・・
*
最終回が次号と迫る。感想を書くのが遅れに遅れて10日後にはコロイチ! 3月号が発売するので、ここの感想のてきとーさにツッコんでるヒマがあったら2月号をもう一度読んでスタンバイしようぜ!
強大な敵。世界を覆うどうしようもない空気感。
かなしみ、恐怖、絶望。
折れた心は抗うことをあきらめてしまうのか・・・
服従するしかないのか・・・ ?
ももタロー! どうにかしてくれよぉ~~~!!
ももタロー「オレは・・・、死ぬのか・・・!?」
―― おいっ!
*
『わざぐぅ!』 では、戦いの崖の試合中たびたび「死ね」という言葉が使われていた。そこに相手を殺害しようなんて意味がないことは、彼らの戦いが勝敗を決めるためであり、命を奪い合うためではないから分かるよね!
つまり、戦いの崖は殺し合うための戦いを模して勝敗を競う試合を行っている<虚構の“殺し合い”> だ。その中の「死ね」 は威嚇目的で発せられる演劇的喧嘩言葉である。<虚構の“殺し合い”> において、負けることは<虚構の“死”> だ。実際には死なない。
しかし、崖の頂上でまーは技々姉弟が繰り広げる<虚構の“殺し合い”の約束事> で展開される戦いに、本当に2人を「殺してやる」 つもりで乱入したようだった。この作品では致命的な攻撃として<腹を刺す> という表現が主要キャラクターへの恒例行事のように登場する(『わざぼー』6巻 など) が、この場合も例に漏れなかった。
まーの「殺してやる」は相当インパクトがあった。(おそらく)本気の殺意は<虚構> であったはずのものを虚構でなくしてしまったのだ。「死ね」 は言い交す状況を互いに演劇的なものだと了承して平和的に使われない限りただの暴言だ。勝負は<虚構の殺し合い> でなければ悲しい。強さ示すために誰かを消さなきゃならないなんて、殺しあわなきゃならないなんて、良いことじゃない。
こんなことで不可能を可能にしたって悲しいだけなんだよぅ・・・
*
ももタローもついに腹を貫通されたか!
ハハハ。そうかー、痛かったかぁ。
よく頑張ったなぁ~
と、もはや親戚のおじさんのキモチ。苗字に“技” がつく人たちは誰ひとり免れなかった。一族に伝わるイニシエーション的な慣習なのかな? なかなかプリミティブな伝統を守っていらっしゃる。この物語は健康と繁栄を祈願し象徴的に行ってきた一族の因習に身体的危険が伴うため廃止を求めて奮起した者たちの人権をかけた戦いを描いているわけではない。
ファンタジーだ。生きるか死ぬかはキモチ次第だ。生きたいと思えばきっと生きられるし、死ぬと思えば死んじゃうし、死ねと願えば死んでしまうのかもしれないんだよ。
だから、たとえもう曽山先生と編集の打ち合わせが終了していて、ネームが決定していて、原稿作業が佳境を迎えていたとしてもわたしは祈るよ・・・
ももタローくん生きて! みみみちゃん生きて!
まーさま、どうかみみみちゃんを殺さないで!
―― 今回はこの辺でノシ
刺さってます
◆ 2014年の夕べ
今年もやります。こっから先はたのしいわざぼー・わざぐぅ! トークはなく、私がブログを書いてきたことや作品と向き合ってきたことについてごく個人的に1年を振り返っているだけなので第三者からしたら大変どうでもいい内容となっています。
ブラウザバックの前に、
感想待っててね! の記事に拍手を下さった方
あけましておめでとう の記事に拍手をくださった方
ありがとうございました!!
広い心で読んでいただけていること大変ありがたいです。毎度しょうもない内容で恐縮です。反応を頂けて、とても嬉しいです。感想遅れましてすみませんでした ><;
*
2014年、ファンレターを書くなんて思いもよらなかった! ちゃんと届くものなんだとわかり、内容のテンパりっぷりを思い返すともだえ苦しむレベルです。忘れよう。
「でんぢゃらすじーさん」 の連載開始を雑誌で読んでいたけれど、たしか1巻の第1話で、背景の本棚に並んでいる本の背表紙に書かれた言葉が攻撃的だったと記憶している。当時より「この作品の作者に下手なことをして怒らせてはいけない」 とずーっと思っていたので・・・ うわぁ・・・ 忘れよう。
先日、ツイッターにも書いたのですが、私は応援メッセージを書くのが苦痛でした。「応援してるから私が楽しめるように作品をこういうふうにしろ!」 という脅迫文だと思われるんじゃないかと心配で、作品作りの邪魔になるような気がしてなりませんでした。
私は自分が作品に対して抱いた感情をどうやって表現すればいいのか、また、そのために選んだ表現方法がどういうふうに受け取ることのできるものかわからなくて困っていました。
なので一度自分の動機を振り返ることにした。そもそも、ここにこうして文章を書いたり、絵を書いたり、声に出して読んでみたりしているのは、「楽しめるようにこうしてくれ!」 と言いたいわけでも、「こうじゃないから楽しくない」 と言っているわけでもなかった。
「こんなふうに楽しんでるんだよ!」 を言いたいから表現しているものでした。
そうです。たとえ、わたしが突然に「この機会を逃したら使いどころがない」 と言ってオリキャラを送り付けるようなことをしたとしても、それは「オリキャラを作るほど作品に没頭して楽しんでるよ」 を言いたいだけで、それ以上の含意はない・・・・
オリキャラをみみみちゃんに会わせてあげたいというメルヘンな発想に基づいていたとしても、それはわたしの中での儀式的な行為であって、対外的には上記のようなメッセージだけなんだよ!!
ああ。
メルヘンとメンヘラは字面が似ているね。
私の中のファンタジーは宇宙の藻屑になったっていい。表現した内容に作品についてとやかく言おうという目的はない。<これは要望でも脅迫でもなくて、勝手に思っていることなので気にしないでね!> という前置きをしつつ、言わんとしていることは単純な おもしろかったー びっくりしたー かなしかったー という作品を読んだ感想なんだ。
と、自分の行動に整理をつけつつ・・・ この焦燥感を忘れたい。
あのデザイン
仲良きことは美しきかな。
技々姉弟はけんかをするが、いがみ合ってはいない。ももタローくんはみみみちゃんを慕い、みみみちゃんはももタローくんを励ます。そのキモチをまっすぐに伝えることができるし、受け止めることもできる。そんな信頼関係はなかなか得難いものなんだな。〔世の中に不信感を抱くアラサー女性・談〕
どうすれば信用できるんだ!
信用するとは、<願い> というかたちで人に託すことなのかもしれない。<そうなれ> と命令したり決めつけたりしても主観と空想を押し付けているだけだ。<それ> は現実じゃない。思ったことと違くって裏切られたなんて思ってはいけないよ!
決めつけることはできなくても<そうあって欲しい> と願うことはできる。だから、我々は願いを伝える。どうなるかはわからないけれど一応祈るのだ。もしも、それが叶えられた日には相手への信頼度が急上昇するね☆
届けこの想いよ 夜空は君への滑走路・・・
*
最終回が次号と迫る。感想を書くのが遅れに遅れて10日後にはコロイチ! 3月号が発売するので、ここの感想のてきとーさにツッコんでるヒマがあったら2月号をもう一度読んでスタンバイしようぜ!
強大な敵。世界を覆うどうしようもない空気感。
かなしみ、恐怖、絶望。
折れた心は抗うことをあきらめてしまうのか・・・
服従するしかないのか・・・ ?
ももタロー! どうにかしてくれよぉ~~~!!
ももタロー「オレは・・・、死ぬのか・・・!?」
―― おいっ!
*
『わざぐぅ!』 では、戦いの崖の試合中たびたび「死ね」という言葉が使われていた。そこに相手を殺害しようなんて意味がないことは、彼らの戦いが勝敗を決めるためであり、命を奪い合うためではないから分かるよね!
つまり、戦いの崖は殺し合うための戦いを模して勝敗を競う試合を行っている<虚構の“殺し合い”> だ。その中の「死ね」 は威嚇目的で発せられる演劇的喧嘩言葉である。<虚構の“殺し合い”> において、負けることは<虚構の“死”> だ。実際には死なない。
しかし、崖の頂上でまーは技々姉弟が繰り広げる<虚構の“殺し合い”の約束事> で展開される戦いに、本当に2人を「殺してやる」 つもりで乱入したようだった。この作品では致命的な攻撃として<腹を刺す> という表現が主要キャラクターへの恒例行事のように登場する(『わざぼー』6巻 など) が、この場合も例に漏れなかった。
まーの「殺してやる」は相当インパクトがあった。(おそらく)本気の殺意は<虚構> であったはずのものを虚構でなくしてしまったのだ。「死ね」 は言い交す状況を互いに演劇的なものだと了承して平和的に使われない限りただの暴言だ。勝負は<虚構の殺し合い> でなければ悲しい。強さ示すために誰かを消さなきゃならないなんて、殺しあわなきゃならないなんて、良いことじゃない。
こんなことで不可能を可能にしたって悲しいだけなんだよぅ・・・
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ももタローもついに腹を貫通されたか!
ハハハ。そうかー、痛かったかぁ。
よく頑張ったなぁ~
と、もはや親戚のおじさんのキモチ。苗字に“技” がつく人たちは誰ひとり免れなかった。一族に伝わるイニシエーション的な慣習なのかな? なかなかプリミティブな伝統を守っていらっしゃる。この物語は健康と繁栄を祈願し象徴的に行ってきた一族の因習に身体的危険が伴うため廃止を求めて奮起した者たちの人権をかけた戦いを描いているわけではない。
ファンタジーだ。生きるか死ぬかはキモチ次第だ。生きたいと思えばきっと生きられるし、死ぬと思えば死んじゃうし、死ねと願えば死んでしまうのかもしれないんだよ。
だから、たとえもう曽山先生と編集の打ち合わせが終了していて、ネームが決定していて、原稿作業が佳境を迎えていたとしてもわたしは祈るよ・・・
ももタローくん生きて! みみみちゃん生きて!
まーさま、どうかみみみちゃんを殺さないで!
―― 今回はこの辺でノシ
刺さってます
◆ 2014年の夕べ
今年もやります。こっから先はたのしいわざぼー・わざぐぅ! トークはなく、私がブログを書いてきたことや作品と向き合ってきたことについてごく個人的に1年を振り返っているだけなので第三者からしたら大変どうでもいい内容となっています。
ブラウザバックの前に、
感想待っててね! の記事に拍手を下さった方
あけましておめでとう の記事に拍手をくださった方
ありがとうございました!!
広い心で読んでいただけていること大変ありがたいです。毎度しょうもない内容で恐縮です。反応を頂けて、とても嬉しいです。感想遅れましてすみませんでした ><;
*
2014年、ファンレターを書くなんて思いもよらなかった! ちゃんと届くものなんだとわかり、内容のテンパりっぷりを思い返すともだえ苦しむレベルです。忘れよう。
「でんぢゃらすじーさん」 の連載開始を雑誌で読んでいたけれど、たしか1巻の第1話で、背景の本棚に並んでいる本の背表紙に書かれた言葉が攻撃的だったと記憶している。当時より「この作品の作者に下手なことをして怒らせてはいけない」 とずーっと思っていたので・・・ うわぁ・・・ 忘れよう。
先日、ツイッターにも書いたのですが、私は応援メッセージを書くのが苦痛でした。「応援してるから私が楽しめるように作品をこういうふうにしろ!」 という脅迫文だと思われるんじゃないかと心配で、作品作りの邪魔になるような気がしてなりませんでした。
私は自分が作品に対して抱いた感情をどうやって表現すればいいのか、また、そのために選んだ表現方法がどういうふうに受け取ることのできるものかわからなくて困っていました。
なので一度自分の動機を振り返ることにした。そもそも、ここにこうして文章を書いたり、絵を書いたり、声に出して読んでみたりしているのは、「楽しめるようにこうしてくれ!」 と言いたいわけでも、「こうじゃないから楽しくない」 と言っているわけでもなかった。
「こんなふうに楽しんでるんだよ!」 を言いたいから表現しているものでした。
そうです。たとえ、わたしが突然に「この機会を逃したら使いどころがない」 と言ってオリキャラを送り付けるようなことをしたとしても、それは「オリキャラを作るほど作品に没頭して楽しんでるよ」 を言いたいだけで、それ以上の含意はない・・・・
オリキャラをみみみちゃんに会わせてあげたいというメルヘンな発想に基づいていたとしても、それはわたしの中での儀式的な行為であって、対外的には上記のようなメッセージだけなんだよ!!
ああ。
メルヘンとメンヘラは字面が似ているね。
私の中のファンタジーは宇宙の藻屑になったっていい。表現した内容に作品についてとやかく言おうという目的はない。<これは要望でも脅迫でもなくて、勝手に思っていることなので気にしないでね!> という前置きをしつつ、言わんとしていることは単純な おもしろかったー びっくりしたー かなしかったー という作品を読んだ感想なんだ。
と、自分の行動に整理をつけつつ・・・ この焦燥感を忘れたい。
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