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深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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年が明けた!! しかし、感想が書けてない。
お約束が守れないという幸先の悪いスタートとなりました。

2014年は色々なことがありました。
こんな私がツイッター! ファンレター! オフ会! 
嘘のような下半期でした。人と交流する機会に恵まれた1年でした。

だから、いまから私が思っていることをここに吐露します。
幻滅されてもいい。腹を割って話をしたくなりました。みなさんを信用してます。

昨年はおつきあいくださりほんとうにありがとうございました。
嬉しかったし、楽しかったです。今年もどうかよろしくおねがいします m(_ _)m


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* * *

突然ですが、私は2014年に自殺する気でいました。
(暗い)

3年前にそんなことを言いました。自分の社会での立ち位置がわからなかったからです。自分はどういう位置につきたいのか目標を見出すこともできないし、そもそも自分に何ができるかもわかりませんでした。このまま主体性なくぼんやり生きていく未来しか想像できず、これ以上悩みたくないから死にたいと思っていました。

 *
当ブログの運営体制は見ての通り内向的です。読みたい人は読んでよ! という感じで、すすんで他の人と『わざぼー』『わざぐぅ!』 のキャラがどうとか、作中の展開に一喜一憂したり、膨らませた想像を話し合ったりとかはしにいかない。そういう会話のノリが好きじゃないから関わり合いになりたくないと思っていました。

私はファンのやり取り、あるいはその人たちの二次創作から作品を読んでいるという雰囲気を感じ取れませんでした。どんどん作品から離れているように見える。そこでおこなわれるコミュニケーションはうちわで共有されている情報に比重をを置いていると感じていた(・・・や、コミュニケーションが目的だもんな)。根も葉もないことが集団の共通認識となって本当のことのように言われるようになる<噂>や<嘘>の温床のようで、なんとなく不愉快。そこで情報をやり取りするうちに、余計な情報を上塗りして元の作品とは別物になっていることに気づけなくなるのではないか、という恐怖を感じていた。
(1人で読んでいても同じことだ。どこかで気がつかないと作品そのものを見落としてしまう)

私は作品について語るなら議論したかった。論拠をあげながら、なぜそういう解釈に至ったのかという過程を示しあい、矛盾があれば指摘するやりとりをしたかった。自分と同じ解釈の相手とめぐり合いたかったし、自分では思いつかなかったであろう解釈を知りたかった。けれど、手順を踏まずにロクな論立もせず感覚だけでなんかふわふわしたことを言う人ばかり。発言にとりわけ主張の意思が感じられない「~ならいい」を多用する態度に私はイラついた。しかも、その人たちが楽しそうに話しているというのが気に入らない。

  たぶん、彼らの楽しみ方がメジャーであるために私は割を食っている。
  私は面白くないのに、なんでこの人たちばっかり楽しそうなんだろう?

と、もはや八つ当たりでしかないことを考える自分自身がウザすぎて、他の人に恐縮した。考えが落ち着くまでは他の人と関わり合いにならないようにしようと外の意見をなるべくシャットアウトして半年ぐらい一人で冥想していました。その間はほんとうに自由で心地よかった・・・


 *
そんな風にこれまで交流することを避けていたけれど、誘って頂いたり、『わざぼー』『わざぐぅ!』 という作品が終わるんじゃないかという状況、そして私も死ぬ気だということが重なって、ツイッター、ファンレター、オフ会 という行動に結びつけることができました。相変わらず、人のやったことに追従するような形だったので主体性を見失いそうになったのだけれど。

私にとって一番の事件は、<ファンレターをみんなでだそう>というツイッター上の呼びかけでした。話を聞いて「私の声が埋もれる!」 という危機感を覚えました。もし、私がブログでぶつぶつ言っているだけだと私が作品を応援しているという意志を永久に曽山先生に伝えることはできないと思った。

私は愚かでした。ファンレターやアンケートを出すという発想がまるでなかった。そうして意思表示することが、その有効性あるいは可能性を広めることが、商業誌において読者が作品を読み続けるためにも、作者が作品で表現する機会を存続するためにも、いかに重要であるか。

私は、形式的な伝達手段に懐疑的でした。
気持ちがこもっていなくても行為として認められるからだ。謝る気持ちがなくても「ごめんなさい」と言ったら謝罪の意思を表明したことになる。だから、形式的な意思表明は嫌いだった。でも、そんな些細なことで思い入れの強い作品への応援の意思表明が出来なかった。そんな自分に怒りを覚えました。

思い入れが強いからこそ、埋もれたくなかった。形式的な表明の仕方で伝えたくなかった。それでも、表明したという事実は行動した人にしか認められない。そんなの悔しいじゃないか。「最近読んで面白かったから、好きっちゃ好きだし、みんなやるみたいだからノリでだしちゃえ!」 という人でさえ認められるのに、それよりもファンやってる私の意思が認められないままとか悲しすぎる。

私はファンを増やそうなんてことはできない。社交的じゃないから友だちがいないし、数少ない友だちもノリが悪い。趣味が狭いので別の趣味の人に作品を紹介するような宣伝効果みたいなものもない。わたしはひとりぼっちなので、そういうかたちで作品を支えることはできないという現実を突き付けられた。

私がファンをやっていてもたいした力にはなれない、と悲しくなりました。


 *
社会での立ち位置を知るにはまず社会に立たなきゃならない。
何ができるかは他の人と比べないと見えてこない。目標なんて言う以前の問題でした。
私は自分の行動力のなさを棚に上げて、他人の粗探しばかりしていた。まったく嫌な奴です。

私も<嘘>や<噂>や二次創作、本当は大好きです。
ただ、それをやるにつれて作品と向き合う自分自身の態度に薄情になっていくことが嫌でした。

私はファン交流するなかで自分のやりたい楽しみ方に近い人を見つけられなかった。
それでも交流したかったときに、誰かの楽しみ方に合わせていくうちに、
自分がどういう気持ちでファンをしているかということを見失うような気がして不安になった。
だから、私のやりたい楽しみ方ではないみなさんのことがちょっと嫌いでした。

このまま誰かに合わせてゆるゆると自分を消耗していく人生を送るのか、と考えたら死にたくてしょうがありませんでした。ファン活動に限らずそういう振る舞いをしてきた。それが3年前の自分でした。


誰がどういう楽しみ方したっていいって思ってます。
ファン同士で楽しめるのは嬉しい。オリキャラ見るのが一番好き。
各々に楽しんでいる皆さんの表現を見ていたら、そういう気持ちを思い出せました。
わたしも自分の好きなように、自分のために、自分に出来る表現をしていこうと思いました。

昨年お世話になった方、だいぶ酷いことを言ってしまいましたが、
こんなしょうもないことを考えてる奴でも相手をしてくださりありがとうございました!


* * * *
愚痴ばかりで何にも面白くなかったと思いますが
読んでくださった方、お時間裂いてくれたことたいへん感謝しております。




―― 以上。
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