深水ニシンの個人サイト「あらしののはら」管理用ブログです。
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本誌派の人からすれば今さらの話題ではあるけれど、なかなか筆が進まず書けなかったおはなし。
例のごとく読みすぎる深水の深読みの類になるのですが、キャラクターデザインについて。
一体どういう意味を持ってそういう姿・形になっているんだろうということを考えてみよう!
というおはなしです。
コミック未収録キャラクターに関する話題です。
例のごとく読みすぎる深水の深読みの類になるのですが、キャラクターデザインについて。
一体どういう意味を持ってそういう姿・形になっているんだろうということを考えてみよう!
というおはなしです。
コミック未収録キャラクターに関する話題です。
* * *
・・・ということで、一応忠告しておいたのですが他所で知っている人もいるでしょうし、「まタロー」ちゃんなんてめちゃめちゃ描きまくっているので今さら以外の何ものでもないかもしれませんが。一応私のほうではまタローちゃんはストーリーラインと関係のあるキャラクター ・ マッチーリちゃんは単発キャラクター という区別をしています。単発キャラはキャラクター自体が登場話のネタ(話の内容それ自体)になっているという場合もしばしばあるので、キャラクターを取り上げると本質的なネタバレになってしまうことがある。・・・なるべく、そういうことはコミック発売まで避けたいなーと思いつつ、我慢がもたなかったです(==)
さてさて、マッチーリちゃんというのはまさにキャラクター自体が話の本質であろうと思われたので、本誌感想では やけに遠まわしな感想 を書いてしまいました。記事に頂いたコメントへのお返事の中に理由を述べたりもしているのですが、受け答えが酷すぎて千笑さまに申し訳なかった。・・・今さらながらごめんなさい;
さて、2012.7月号のマッチーリちゃんは乙女チックなファッションで「少女」を語りながら、人物自体は「おっさん」そのものというキャラクターです。≪どうして“美少女”を語るには完璧とはいえない“女装したおっさん”というバレバレのデザインをしたのか?≫と、そういうことを疑問の発端にして読んでみましょう。
*
かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでいた
ここで人様のご意見をひっぱってくるのですが、再び千笑さまの登場です。千笑さまはマッチーリちゃんの服装についてマッチーリが少女のファッションをしている理由は「女として生きたい」からと理解し、「実行の度合いがかみ合っていない」ことが中途半端と指摘。その中途半端さは「ホントに心が乙女云々じゃなくて(略)かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでる可能性もある」と考察していらっしゃった。
直接話を読めば分かることなのでコミック収録されたものをご参照されたいのですが、マッチーリが「少女」の格好をしていたのは自身の本当の姿「おっさん」を恥じていたためだということが書かれていた。だから、“かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでいた”という見方は正しいと思う。
けれど、マッチーリが女装しているからといって「女として生きたい」とまでは言っていない。マッチーリは女になりたくて少女に扮していたのではなく、「少女」のもつ<かわゆさ(=愛される、魅力的などの意味合いか)>を欲していたと思われます。“女装している”というデザインではあるものの“女になりたい”というわけではない。あくまで“少女”に象徴される<かわゆさ>を求めていたゆえの“少女の扮装”でしょう。
*
心の中はじゅんすいな少女
マッチーリちゃんは自らの心の中が少女だということも言っています。それはまるで「女として生きたい」と言っているようですが、私はマッチーリちゃんが少女に扮する前提を「おっさんの払拭」に置きたい。
その上で「心の中はじゅんすいな少女」という意味を考えてみる。
マッチーリちゃんは「おっさん」というかっこわるさを払拭するために、「かわゆい少女」に扮していた。マッチーリにとって「おっさん」は他者からかっこわるいという評価を受けるものである。ゆえに、「おっさん」である自分自身を恥じていた。しかし、扮装が暴かれて「おっさん」の姿をさらけ出しているにも関わらず他者(対戦相手であるももタロー)から「かっちょいい」と言われたことで自信を持つ。そして、「おっさんのほこりをかけて」戦いに臨む。
つまり、マッチーリは世間の目からかっこわるいと評価される「おっさん」を恥らいつつも、「おっさん」というものに誇りを持っていたのではないか。<“女装したおっさん”というバレバレのデザイン>という、「女として生きたい」女装という見方からすれば中途半端に感じられるデザインなのは、マッチーリが「女として生きたい」わけではないことそれ自体を意味していたように考えられないか。「おっさん」を誇りつつも世間一般の評価からは低く見られてしまうため恥ずかしい、というマッチーリの「おっさん」に対するアンヴィバレンスを<少女の扮装をしたおっさん>というデザインによって表現したのではなかったか。
と、マッチーリのデザインの意味を確認したところでやっとこ「心の中はじゅんすいな少女」とはどういうことなのか?を考えてみるのですが。これは、特徴をさらけ出すことへの恥じらいを「少女」によって象徴している、という見方をしたいのだけれど・・・どうでしょう?
「少女」というのは二次成長を迎えて間もない、男性との身体的特徴の違いが現れはじめた頃合いであり、それを誇示しようとする一方で、指摘されることに恥じらいをもつという、客観的には矛盾した行動をとる存在と言えるのではないか。
“マッチーリ”という名前が「マッチ売りの少女」のほか「マッチョ(macho)」即ち、男性性を誇示するという意味をもつ言葉もその中に含まれていることはマッチーリちゃんの体格が筋肉質であることからも伺えると思います。誇示する性でありつつ、恥らう性でもあるという意味合いが「少女」のそれである。だから、「心の中はじゅんすいな少女」という表現がされているように思われます。
*
以上のマッチーリちゃんのデザインについてのおはなしをまとめると、自らの特徴に対するアンヴィバレンスに苦悩する姿を“少女の扮装”をする“マッチョ”な“おっさん”というデザインによって表現していたらしいことが伺えました。・・・曽山先生、あら細かいvというキャラクター造型です。その昔、『ヒ・キ・ガ・ネ』でタマちゃんのオデコや変身したツカっちゃんのコスチュームの腕のところにこういうマークがあったのですが、
T・Mの図案化ですよね。たぶん(これはあまり自身がない)。羽を散らして引鐘ツカサというどことなく教会臭いデザインだったり、ツカっちゃんの触覚は天使の輪をイメージしたものだったろうとか、随所にこだわりが見られたのですが、私の見方が正しければ、曽山先生は相当細やかなデザインをされる方だと思います!
・・・みんなも色々考えて、色々探してみよう!!
・・・ということで、一応忠告しておいたのですが他所で知っている人もいるでしょうし、「まタロー」ちゃんなんてめちゃめちゃ描きまくっているので今さら以外の何ものでもないかもしれませんが。一応私のほうではまタローちゃんはストーリーラインと関係のあるキャラクター ・ マッチーリちゃんは単発キャラクター という区別をしています。単発キャラはキャラクター自体が登場話のネタ(話の内容それ自体)になっているという場合もしばしばあるので、キャラクターを取り上げると本質的なネタバレになってしまうことがある。・・・なるべく、そういうことはコミック発売まで避けたいなーと思いつつ、我慢がもたなかったです(==)
さてさて、マッチーリちゃんというのはまさにキャラクター自体が話の本質であろうと思われたので、本誌感想では やけに遠まわしな感想 を書いてしまいました。記事に頂いたコメントへのお返事の中に理由を述べたりもしているのですが、受け答えが酷すぎて千笑さまに申し訳なかった。・・・今さらながらごめんなさい;
さて、2012.7月号のマッチーリちゃんは乙女チックなファッションで「少女」を語りながら、人物自体は「おっさん」そのものというキャラクターです。≪どうして“美少女”を語るには完璧とはいえない“女装したおっさん”というバレバレのデザインをしたのか?≫と、そういうことを疑問の発端にして読んでみましょう。
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かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでいた
ここで人様のご意見をひっぱってくるのですが、再び千笑さまの登場です。千笑さまはマッチーリちゃんの服装についてマッチーリが少女のファッションをしている理由は「女として生きたい」からと理解し、「実行の度合いがかみ合っていない」ことが中途半端と指摘。その中途半端さは「ホントに心が乙女云々じゃなくて(略)かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでる可能性もある」と考察していらっしゃった。
直接話を読めば分かることなのでコミック収録されたものをご参照されたいのですが、マッチーリが「少女」の格好をしていたのは自身の本当の姿「おっさん」を恥じていたためだということが書かれていた。だから、“かっこ悪い部分の払拭アイテムに「少女」を選んでいた”という見方は正しいと思う。
けれど、マッチーリが女装しているからといって「女として生きたい」とまでは言っていない。マッチーリは女になりたくて少女に扮していたのではなく、「少女」のもつ<かわゆさ(=愛される、魅力的などの意味合いか)>を欲していたと思われます。“女装している”というデザインではあるものの“女になりたい”というわけではない。あくまで“少女”に象徴される<かわゆさ>を求めていたゆえの“少女の扮装”でしょう。
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心の中はじゅんすいな少女
マッチーリちゃんは自らの心の中が少女だということも言っています。それはまるで「女として生きたい」と言っているようですが、私はマッチーリちゃんが少女に扮する前提を「おっさんの払拭」に置きたい。
その上で「心の中はじゅんすいな少女」という意味を考えてみる。
マッチーリちゃんは「おっさん」というかっこわるさを払拭するために、「かわゆい少女」に扮していた。マッチーリにとって「おっさん」は他者からかっこわるいという評価を受けるものである。ゆえに、「おっさん」である自分自身を恥じていた。しかし、扮装が暴かれて「おっさん」の姿をさらけ出しているにも関わらず他者(対戦相手であるももタロー)から「かっちょいい」と言われたことで自信を持つ。そして、「おっさんのほこりをかけて」戦いに臨む。
つまり、マッチーリは世間の目からかっこわるいと評価される「おっさん」を恥らいつつも、「おっさん」というものに誇りを持っていたのではないか。<“女装したおっさん”というバレバレのデザイン>という、「女として生きたい」女装という見方からすれば中途半端に感じられるデザインなのは、マッチーリが「女として生きたい」わけではないことそれ自体を意味していたように考えられないか。「おっさん」を誇りつつも世間一般の評価からは低く見られてしまうため恥ずかしい、というマッチーリの「おっさん」に対するアンヴィバレンスを<少女の扮装をしたおっさん>というデザインによって表現したのではなかったか。
と、マッチーリのデザインの意味を確認したところでやっとこ「心の中はじゅんすいな少女」とはどういうことなのか?を考えてみるのですが。これは、特徴をさらけ出すことへの恥じらいを「少女」によって象徴している、という見方をしたいのだけれど・・・どうでしょう?
「少女」というのは二次成長を迎えて間もない、男性との身体的特徴の違いが現れはじめた頃合いであり、それを誇示しようとする一方で、指摘されることに恥じらいをもつという、客観的には矛盾した行動をとる存在と言えるのではないか。
“マッチーリ”という名前が「マッチ売りの少女」のほか「マッチョ(macho)」即ち、男性性を誇示するという意味をもつ言葉もその中に含まれていることはマッチーリちゃんの体格が筋肉質であることからも伺えると思います。誇示する性でありつつ、恥らう性でもあるという意味合いが「少女」のそれである。だから、「心の中はじゅんすいな少女」という表現がされているように思われます。
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以上のマッチーリちゃんのデザインについてのおはなしをまとめると、自らの特徴に対するアンヴィバレンスに苦悩する姿を“少女の扮装”をする“マッチョ”な“おっさん”というデザインによって表現していたらしいことが伺えました。・・・曽山先生、あら細かいvというキャラクター造型です。その昔、『ヒ・キ・ガ・ネ』でタマちゃんのオデコや変身したツカっちゃんのコスチュームの腕のところにこういうマークがあったのですが、
T・Mの図案化ですよね。たぶん(これはあまり自身がない)。羽を散らして引鐘ツカサというどことなく教会臭いデザインだったり、ツカっちゃんの触覚は天使の輪をイメージしたものだったろうとか、随所にこだわりが見られたのですが、私の見方が正しければ、曽山先生は相当細やかなデザインをされる方だと思います!
・・・みんなも色々考えて、色々探してみよう!!
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